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大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
長距離通学者ということあり、通学時間は1日24時間のうち結構な割合を占める。これは大きな負担かもしれないが、反面、有効活用すれば大きなチャンスになる。
ここでどうやって勉強すればいいかを考えようと思う。
電車で座れたときに、ただテキストを読むというのがよく考えられることだが、それだと、眠くなって寝てしまうことが多い。テキストをただ読むという作業は退屈だし、電車の中では六法を引いたりアンダーラインを付したりすることができず、メリハリのある学習をすることができないからだ。
座れなかったときはどうするか。英単語の暗記が一番ポピュラーだろう。しかし、これは飽きる。15分から30分くらいの通学時間であれば問題はないが、片道1.5~2時間の通学時間にひたすら英単語を覚えるのは辛い。
いずれにせよ、単調な勉強ではすぐにつまらなくなって飽きてしまうようだ。
よって、①複数の内容をやる②電車内での勉強に適した内容にすることが必要だ。
だから、①としては、最初の数駅間では英単語をやり、途中では法律について勉強し、最後の数駅間でまた英単語という流れにしようと思う。
②としては、英単語は言うまでもない。だが、法律の勉強をするのは何がいいか。基本書やテキストをただ読むというのは退屈。だから、趣旨・要件を覚えるような勉強にしようと思う。それが簡潔にまとめられた参考書があるなら使ってみよう。よし、本屋行こう。
しばらくこのやり方を試してみて、うまくいきそうなら続け、そうでなかったらまた見直す。
さて、1日遅れてしまったが4月の反省を。
今月は(特に後半は)、残念ながらあまり勉強していなかった。新歓活動やその準備のために朝から晩までサークル活動があったことなど、そっちの方面で色々と忙しく勉強時間が確保できなかった。学年が変わったり、役職についたことで忙しさが増したのである。家に帰っても疲れてしまいすぐに寝てしまった。
司法試験の受験を考えているのにこのザマは我ながらひどいものだ。改善する必要がある。
改善のための具体的な方法とは、通学の時間を勉強時間に変えることだ。なぜなら、通学時間はいくらサークルやら何やらが忙しくても、毎日同じくらいの時間があり(往復で3~4時間)、これを有効活用すれば一定の水準の勉強が毎日できるからだ。
しかし、この時に何をするかが問題になる。詳しくは次回の記事で書く。
読書量はいまいち。時間がなくてももっと読めたのではないかと思うし・・・
精神面はかなり良好。3月は悪かったが4月になって回復し、安定している。2011年に入ってから、それなりに良い水準を保っているのは、ポジティブシンキングを心がけたことが一番だと思うが、そのほかにも大学生活への慣れという面もあるのだろう。最近は自殺願望も随分と減ってきた。
さて、いつも同じようなことばかり書いている「反省」だからこのくらいで切り上げよう。明日から授業が始まるわけだし、これからの大学生活を実りの大きいものにしていきたい。
さて、明日から学部のガイダンスが始まり、震災の影響で約一ヶ月遅れてようやく大学2年生の生活が始まる。1年前この大学に入学したときからどれだけ成長(学問的、人間的に)しているかは分からないし、何一つ変わらずいたずらに時間を空費してしまっただけかもしれないが、1年という時が僕の手の中から離れてしまったのは事実だ。大学進学により得た4年という時が1年減ってしまった。
いまここでは、去年の僕の体たらくをつまびらかに論うことはしない。残りの時をいかにして生きるかということを語ろうと思うのである。未来を考えたいのだ。
僕は大学では法律学を学んでいる。とある私立大学の法学部法律学科に所属して学んでいる。そして、大学で出会いを果たした法学が好きになった。
さらに、友人たちの姿に影響されて、法曹という道に憧れを持つようになった。
この道は、嘗ては自ら否定して、採り得ないものとして考えていた。その理由はいくらでもある。金銭面でのリスクもあるし、司法試験を突破できるだけの勉強をすることができるのかということも不安であった。
このように考えるようになったのは、大学1年の後半頃から。しかし、決めかねていた。勉強は何もしなかった。将来が不安だからと色々模索した。過去に話したかもしれないが、学内で行われた公務員試験のガイダンスを聞いてみたり、行政書士試験の勉強をしてみたり、司法書士試験の講座を受けてみたりした。また、就活に役立ちそうな資格を取ることを考えたりもした。どの道も魅力的ではあった。しかしそれ以上に、今の自分にとって法曹という道は魅力的に映る。
ここでどうするべきか。悩むことは悪いことではないかもしれない。しかし、一歩足を踏み出してみることもなく同じ場でひたすらに観念的に思考を弄んでいても仕方がない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ここは前進しようではないか。
単刀直入にいおう。僕は大学2年という時は、司法試験合格を目標(そのための過程としてロースクール進学)に向けての勉強に費やそうではないかと。いくら悩んでいてもわからないものだから、あえてその中に漬かってみようではないかと。こうして道を切り開いていこうと。
「父さん、学内の司法試験講座を受講したいんだ」
「そうか。お前もハタチにもなったんだから自分の道は自分で決めろ。“可能な限り”は援助しよう」
このことを家族に話してみた。僕の意思に反して今の大学に(半ば無理やりに)押し込めた父が、僕の考えに理解を示してくれたのは意外だった。
大学2年というときは、好きなようにできる最後の時である。3年になれば大半の学生は就職活動が忙しくなり「好きなこと」をしている時間はなくなるし、法科大学院をゼロから目指すのも遅いといわれる時期だ。だから今しかない。自由に使える時は今しかない。今ならローリスクハイリターン。ダメでも3年からやり直しはきく。最後のチャンスである。
読書をしたり文章を書いたりするときに意識してしまうのは文体だろう。特徴のある文体を持っている作家の書いた文章は、誰が書いたのか明言されていなくても自然とわかってしまうもの。また、同じ作家でも文章の内容に応じて文体を変えていたりするのが面白い。
そんな文体について診断してくれるサイトがあった。「文体診断ロゴーン」という名前である。
このサイトに自分の書いた文章を載せると、自分の文がどの著述家のものに類似しているかが分かるという、文章を書くのが好きな人にとってはとても興味深いサイト。飽くまで遊びではあるが、参考になる面も多い。
そこで、この前「人間関係のリセット」という題で書いた文章を診断してもらった。
診断によると、僕の文章は
1.井上ひさし
2.松本幸四郎
3.有島武郎
の順番で似ているようだ。残念なことにこの3人の文章を今まで読んだことがなく、あまりピンとこなかったw読書経験の少なさがここに出てしまったようだ。
ちなみに似ていないのは
1.阿川弘之
2.岡倉天心
3.新美南吉
の順番だった。
そのほかにも文章の評価があるのだが、残念なことに読みやすさの項目でEをもらってしまった。コメントには「一文が長い」と。確かに自分の文章は、読点をたくさん使って、一文のうちにいくつのも情報を組み込むというスタイルであり、それを半ば意識的に使っていたりする(丁度この文のように)。
機械といえども、こうやって自分の文章を客観的に判断してくれるものは興味深い。
だが、いくら自分の文が「一文が長い」といわれようと、一度身についたスタイルはなかなか手放すことはできず、この方法が自分の思考を表現するに最も適していると確信しているのだから、「長い一文」をこれからも使っていくだろうけど。
過去に書いた文章をいくつか診断してみても、大体似たような結果だった。ただ、似ていない文章の項目に、伊藤正巳先生や団藤重光先生の名前があったのは、一人の法学部生として、少し複雑な気持ち・・・
ここでいう「定期的な人間関係のリセット」とは、例えば学生でいえば進学やクラス替え、社会人でいえば転勤や転職のようなもので、何らかのきっかけによりその人に身近な人間関係が解体・再編されることをいう。
この「定期的な人間関係のリセット」は、当人にとってよい結果も悪い結果ももたらす。自分の経験では、中学1年のときのクラスは校内でも有名なDQNが何人もいるクラスで嫌な思いをしていたが進級によるクラス替えでDQNが少ない良いクラスに行けたことがあったり、高校2年のときの気の合う人が多かったクラスから一転高3のクラス替えで全く気の合わない人しかいないクラスになりぼっちを余儀なくされたことがあったりと、いいのやら悪いのやら。
しかし、そのような面があっても、なんとなく新鮮な気分にワクワクしたり、現状からの脱却を期待したり、反対に今の状況の維持を願ったりと、どこか刺激的なのではないかと思う。マンネリ化が避けられるのである。
今の自分には「人間関係のリセット」の機会はあまりないのではないか、もっと率直に言うと大学はクラス替えがなく、同じ人間関係がしばらく続くのではないかと思った。
今の人間関係は、少なくとも学部においてはそこそこ良好だと思うしそれなりに楽しい思いもしている。だが、もっと新しい出会いをしてみたいというのも事実で、新しい友人を作り新しい考えに触れてみたいとも思うのである。(もっとも、それに失敗してぼっちになるリスクもあるが・・・)
春というのは生命力の躍動ある季節だ。この季節ほど「新しい」ものが合うものはない。丁度芽吹き始めた新緑のようにみずみずしい刺激に触れてみたくなる季節である。僕は、どうしても閉鎖的なものとして観念してしまうこの現状に、春の新鮮な風を吹き入れたいと思うのである。