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模索を続ける大学生(いわゆる「非リア」系)の日記。内面に関する省察が中心で根暗な印象かもしれませんがご容赦を。微力ながら自分の進むべき道を探求し続けます。たまにサークル内ぼっちとか喪男とかコミュ障とか社会不適合とか勉強とか… 2014年・就職しました
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おーじゃ
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職業:
大学生→社会人
趣味:
読書
自己紹介:
某大学の法学部に在籍中。「喪男」「非リア」「非コミュ」「真面目系クズ」「サークル内ぼっち」「社会不適合」勉強と読書中心の大学生活を望むも挫折気味。行き詰りの大学生活・・・
大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
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 読書をしたり文章を書いたりするときに意識してしまうのは文体だろう。特徴のある文体を持っている作家の書いた文章は、誰が書いたのか明言されていなくても自然とわかってしまうもの。また、同じ作家でも文章の内容に応じて文体を変えていたりするのが面白い。

 そんな文体について診断してくれるサイトがあった。「文体診断ロゴーン」という名前である。

 このサイトに自分の書いた文章を載せると、自分の文がどの著述家のものに類似しているかが分かるという、文章を書くのが好きな人にとってはとても興味深いサイト。飽くまで遊びではあるが、参考になる面も多い。

 そこで、この前「人間関係のリセット」という題で書いた文章を診断してもらった。

 診断によると、僕の文章は

1.井上ひさし
2.松本幸四郎
3.有島武郎

の順番で似ているようだ。残念なことにこの3人の文章を今まで読んだことがなく、あまりピンとこなかったw読書経験の少なさがここに出てしまったようだ。

 ちなみに似ていないのは

1.阿川弘之
2.岡倉天心
3.新美南吉

の順番だった。

 そのほかにも文章の評価があるのだが、残念なことに読みやすさの項目でEをもらってしまった。コメントには「一文が長い」と。確かに自分の文章は、読点をたくさん使って、一文のうちにいくつのも情報を組み込むというスタイルであり、それを半ば意識的に使っていたりする(丁度この文のように)。

 機械といえども、こうやって自分の文章を客観的に判断してくれるものは興味深い。

 だが、いくら自分の文が「一文が長い」といわれようと、一度身についたスタイルはなかなか手放すことはできず、この方法が自分の思考を表現するに最も適していると確信しているのだから、「長い一文」をこれからも使っていくだろうけど。

 過去に書いた文章をいくつか診断してみても、大体似たような結果だった。ただ、似ていない文章の項目に、伊藤正巳先生や団藤重光先生の名前があったのは、一人の法学部生として、少し複雑な気持ち・・・

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 俺の数少ない趣味は読書で大学卒業までに1000冊読むことを目標とし月々のノルマを定めている。この計画は今年の2月末に本命の国立大学(もちろん落ちた)の入試が終わった直後に立てたものだ。大学生活に、読書を通じて幅広いものの見方を養ったり、知識をつけようと思った。

 また、読んだ本の感想や重要部分の引用などをまとめたノートを作っている。ノート作りを始めたのは高3の冬、センター試験が終わった直後(本命の国立の2次試験を控えていたのにこんなことをしていた。だから落ちた)だったから結構長い。昨日、その読書ノートの3冊目が終了した所だった。

 ノートを一冊終えると達成感を感じていた、今までは。今回はむなしさを感じた。

 「こんなに冊数は多いのに、何が自分の頭に残ったといえるのか。」

 ぱらぱらとノートをめくり、読んだ本のタイトルをざっと見返してみた。ほとんど内容が思い出せない。

 内容が思い出せない本は主に冊数稼ぎのため、ノルマ達成の手段として読んだ、内容があまり無い、いわゆる「くだらない本」。「くだらない本」という言い方はよくないがまあここでは問題としない。

 いくら冊数を稼ごうと、頭に残らなければ意味が無い。(ここでは「頭に残る」とは漠然としたものでもかまわないとする。詳細な内容が頭に残っているに越したことは無いが、ぼんやりとした記憶が残っているだけでも、それはそれで有益だと思うからだ。)

 思うに読書というもの、いや、多読することは、それ自体が目的となることに大きな問題があるものだ。ドイツの哲学者ショーペンハウアーの名著「読書について」を持ち出すまでも無く、多読には「自分で考える」ことを妨げることがある(皮肉なことにこの本は1000冊読書の計画の一冊目として読んだ本だった。分かっていても実践できなかったのが悔しい)。多読の自己目的化だけは避けようと思っていたのにこのザマ。

 最近こうやって反省することが多くなってきたし、読書ノートも新たに4冊目に入ったところだし、読書のあり方を改めてみようと思った。「あり方を改める」とはいっても特別なことはしない。自分が本心で読みたいと思った本を、じっくりと、内容のみならず文体や語句までかみ締めながら読んでいくだけだ。初心に帰るだけだ。

 この「方法」と呼ぶまでも無い「方法」で、いわゆる「名著」や「古典」と呼ばれる本を読み、この経験を自分の財産にしていきたいものだ。

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何をやるにしても目を使う。特に俺の場合、趣味の関係上目を酷使すること多い。

俺の趣味は何か、といわれたら迷わず読書と答える。そのあと、少し考えてネットという。どっちにしても目が疲れる。

そういえば、いい忘れていたことだが俺はかなり目が悪い。視力検査でも、裸眼の状態では一番上の大きいCの字すら見えない。下のほうに至っては存在しているかすらわからないくらいに視力が悪い。小学生のときまでは普通だったが中学入学のちょっと前から徐々に下がり、今では両目とも0,1以下である。俺の眼鏡の度の強さに驚く人は少なくない。

こんなに視力が悪いなら、趣味ももっと目を疲れさせないもの、例えばスポーツのようなアウトドア系、音楽鑑賞のような視覚以外を使うものにすればいい。本来、読書以外にも趣味に出来る者は色々あるはずだ。

だが、よくないと分かっていながらお酒やタバコをやめられない人のように、おれも「目が悪くなる趣味」をやめられない。

そのツケなのか、単なる疲れか、今日は午後くらいからずっと目が痛かった。たまには目を休めよう、といいながらブログを書いてしまっている。今日は早く寝たい。

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俺は読書ノートを作っている。読んだ本のタイトルや感想、心に残ったことや「使える」と思った考え方などの引用などがその中身だ。

読書の方法を説明するハウツー本の中には「ノートは取るな」と書いたものもあるが、今のところ止めるつもりはない。「ノートを取れ」と主張するハウツー本もそれと同じくらいたくさんあるが別にそのような類の本に影響されてノートをつけ始めたのではない。ジャーナリストの立花隆さんは「読み終わる前にノートは取るな」というようなことを言っていたが、俺は読みながらノートをとることも多い。

ノートを取るようになってから、以前よりも文章を注意深く読むようになり、理解度も上がったとおもう。俺にとってはとても有益であるに違いない。特に、思想関連の本の読解力は上がったのではないかと思っている。逆に小説の場合はノートはあまり必要ないかもしれない。

時々読み返してみると、自分の幼稚さ(こんな稚拙な感想を書くのか、とか)に気が付いたりして面白いし、引用した文を読むことで内容の復習も簡単に出来る。引用する文を選ぶセンスの無さにも苦笑させられることがあるが、逆に自分と同じ所を誰かが著書などで引用しているのを見かけるとニヤリとする。

今日、読書ノートの2冊目の残りのページがゼロになった。2冊のノートを使い切った。

ちなみに、ノート1冊あたり約80冊分の記録が書かれている。2冊だから160冊。

1冊目は平成21年の1月、つまり2009年の1月にスタートした。2冊目は去年の10月。そして今日終わった。

3冊目はほぼそのまま大学時代の読書の記録になるだろう。もしも、10年20年後にこのノートを見返したとき、俺はどう思っているのだろうか。

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