模索を続ける大学生(いわゆる「非リア」系)の日記。内面に関する省察が中心で根暗な印象かもしれませんがご容赦を。微力ながら自分の進むべき道を探求し続けます。たまにサークル内ぼっちとか喪男とかコミュ障とか社会不適合とか勉強とか… 2014年・就職しました
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プロフィール
HN:
おーじゃ
性別:
男性
職業:
大学生→社会人
趣味:
読書
自己紹介:
某大学の法学部に在籍中。「喪男」「非リア」「非コミュ」「真面目系クズ」「サークル内ぼっち」「社会不適合」勉強と読書中心の大学生活を望むも挫折気味。行き詰りの大学生活・・・
大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
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最後の更新が去年の4月6日だった。一年弱といったところ。それから今日まで、レポートやゼミ発表の報告のような課題として貸される場合以外、私的に長い文章を書くことはほとんどなく、こうやってキーボードの前に向かって自分自身について考えたり表現したりするのも久しぶりだ。
文体というほどの確立されたものがあったわけでもないが、しばらく更新していなかったせいで、文章の癖のようなものも変わってしまっているのかもしれない。気が付いたことがあれば教えてほしい。
最後の更新が去年の今頃とはいえ、その前から更新はサボりがちだったから、僕の近況も知らせていないことが多い。ツイッターを見てくれている人は(ツイッターのフォロワーさんがいたらこっそり教えてくださいw拍手ボタンを押せば管理人のみに見えるようにコメントできますので)大体分かるだろうけど、そうじゃない人にとっては謎だろう。
大学二年生の秋頃に本格的に「ぼっち」化したことは書いただろうから、その後について。
「ぼっち」化した後の精神状況は最悪といってもいいくらいだったが、だんだんと回復していき、大学3年はこれまでの生活の中でももっとも安定していた。
良好な精神状態のもと、少しずつ交友関係を広げていき、何人かとは会ったら話す程度の「知り合い」関係(「友達」と呼べるほど親しくはない)になれた。研究者志望者、司法試験受験組、共産趣味者、右翼と充実した面々だと思う。特に、とある授業のメンバーにはお世話になり、先生を中心に囲んで楽しい時を過ごすことができた。これは3年生で一番楽しい思い出だったと思っている。
こんなことを言うと「それってもはやぼっちではないのでは?」とチンカスみたいな指摘が十中八九やってくるが、彼ら彼女らとの仲は友達と呼べるほど親密でもないし、連絡を取り合うことも学校外で合うこともほとんどないのだから、「友達」と呼ぶのは不適切だと思うし、僕の孤独感自体は緩和こそすれ、何も根本的には解決していないのだから、その指摘は正しくないと思う。とはいえ、ナニが「ぼっち」なのか、その定義(僕にとっては「友達がいない」ことだが)が人によって違うのだろうから、この話をするのは定義を正確に定めた後でないと全く意味がない、不毛なものになってしまうだろう。
このブログを更新している頃は、勉強がどーのこーのとうるさかったが、その甲斐あってではないだろうが、いくつかの資格をゲットでき、履歴書を埋めるのには役立つ。大学の成績は落ちていない。しかし、成績を争う友人ももはやいなくなり、成績の良し悪しによって表彰される機会は主席以外は3年生以上の学生にはない(この辺は学内者じゃないとわかりにくい?)から、成績についての関心は僕の髪の毛くらい薄くなった。
司法試験は撤退した。
講座を受けあまり向いていない気がして、撤退については二年生の頃から考えていたが、このままずるずると仮性包茎のチンコの皮のように伸ばし伸ばしするのはよくないと思って3年に上がる前にはスッパリ司法試験という選択肢をポアした。特に試験勉強に熱中するでもなく、特に法曹になりたいわけでもなかったのだから賢明な選択だったと思うが、それだったらはじめからこの選択肢を考えずにいれば、講座の代金と時間が浮いたのにと思って少々悔しい。
アルバイトを始めた。地元の塾講師をしている。月収は少ないがそれ以外に不満はない。
ゼミに入った。出席率100%である。
読書量は減った。今年に入ってまだ5冊くらいしか読んでいないと思う。読書への関心が薄まったわけではないが、生活の忙しさが原因である。
大学入学時には4年間で1000冊読破と息巻いていたが、僕にとっての1000冊読破計画とは、「多読」どころか「乱読」でもなく、いうなれば「雑読」か、いや、漢字二文字で無理やり表さなければ「ページめくり」だった。多読を批判するつもりはないが、僕にとって足りないというか欲しいのは専門的な学問を通して得られる体系性、そこまで硬いことを言わなければ、系統だった知識・関連付けられた知識だった。ある程度生活に余力ができれば読書を再開したいが、そのときは計画を立てて勉強するような気持ちで読んでいきたい。
ちなみにまだ童貞である。それどころか彼女もいない。安心してくれ。
文体というほどの確立されたものがあったわけでもないが、しばらく更新していなかったせいで、文章の癖のようなものも変わってしまっているのかもしれない。気が付いたことがあれば教えてほしい。
最後の更新が去年の今頃とはいえ、その前から更新はサボりがちだったから、僕の近況も知らせていないことが多い。ツイッターを見てくれている人は(ツイッターのフォロワーさんがいたらこっそり教えてくださいw拍手ボタンを押せば管理人のみに見えるようにコメントできますので)大体分かるだろうけど、そうじゃない人にとっては謎だろう。
大学二年生の秋頃に本格的に「ぼっち」化したことは書いただろうから、その後について。
「ぼっち」化した後の精神状況は最悪といってもいいくらいだったが、だんだんと回復していき、大学3年はこれまでの生活の中でももっとも安定していた。
良好な精神状態のもと、少しずつ交友関係を広げていき、何人かとは会ったら話す程度の「知り合い」関係(「友達」と呼べるほど親しくはない)になれた。研究者志望者、司法試験受験組、共産趣味者、右翼と充実した面々だと思う。特に、とある授業のメンバーにはお世話になり、先生を中心に囲んで楽しい時を過ごすことができた。これは3年生で一番楽しい思い出だったと思っている。
こんなことを言うと「それってもはやぼっちではないのでは?」とチンカスみたいな指摘が十中八九やってくるが、彼ら彼女らとの仲は友達と呼べるほど親密でもないし、連絡を取り合うことも学校外で合うこともほとんどないのだから、「友達」と呼ぶのは不適切だと思うし、僕の孤独感自体は緩和こそすれ、何も根本的には解決していないのだから、その指摘は正しくないと思う。とはいえ、ナニが「ぼっち」なのか、その定義(僕にとっては「友達がいない」ことだが)が人によって違うのだろうから、この話をするのは定義を正確に定めた後でないと全く意味がない、不毛なものになってしまうだろう。
このブログを更新している頃は、勉強がどーのこーのとうるさかったが、その甲斐あってではないだろうが、いくつかの資格をゲットでき、履歴書を埋めるのには役立つ。大学の成績は落ちていない。しかし、成績を争う友人ももはやいなくなり、成績の良し悪しによって表彰される機会は主席以外は3年生以上の学生にはない(この辺は学内者じゃないとわかりにくい?)から、成績についての関心は僕の髪の毛くらい薄くなった。
司法試験は撤退した。
講座を受けあまり向いていない気がして、撤退については二年生の頃から考えていたが、このままずるずると仮性包茎のチンコの皮のように伸ばし伸ばしするのはよくないと思って3年に上がる前にはスッパリ司法試験という選択肢をポアした。特に試験勉強に熱中するでもなく、特に法曹になりたいわけでもなかったのだから賢明な選択だったと思うが、それだったらはじめからこの選択肢を考えずにいれば、講座の代金と時間が浮いたのにと思って少々悔しい。
アルバイトを始めた。地元の塾講師をしている。月収は少ないがそれ以外に不満はない。
ゼミに入った。出席率100%である。
読書量は減った。今年に入ってまだ5冊くらいしか読んでいないと思う。読書への関心が薄まったわけではないが、生活の忙しさが原因である。
大学入学時には4年間で1000冊読破と息巻いていたが、僕にとっての1000冊読破計画とは、「多読」どころか「乱読」でもなく、いうなれば「雑読」か、いや、漢字二文字で無理やり表さなければ「ページめくり」だった。多読を批判するつもりはないが、僕にとって足りないというか欲しいのは専門的な学問を通して得られる体系性、そこまで硬いことを言わなければ、系統だった知識・関連付けられた知識だった。ある程度生活に余力ができれば読書を再開したいが、そのときは計画を立てて勉強するような気持ちで読んでいきたい。
ちなみにまだ童貞である。それどころか彼女もいない。安心してくれ。
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