模索を続ける大学生(いわゆる「非リア」系)の日記。内面に関する省察が中心で根暗な印象かもしれませんがご容赦を。微力ながら自分の進むべき道を探求し続けます。たまにサークル内ぼっちとか喪男とかコミュ障とか社会不適合とか勉強とか… 2014年・就職しました
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プロフィール
HN:
おーじゃ
性別:
男性
職業:
大学生→社会人
趣味:
読書
自己紹介:
某大学の法学部に在籍中。「喪男」「非リア」「非コミュ」「真面目系クズ」「サークル内ぼっち」「社会不適合」勉強と読書中心の大学生活を望むも挫折気味。行き詰りの大学生活・・・
大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
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「ぼっち」新入生という単語を使うのも、今は大学新入生の大半が「大学に友達がいない状態=ぼっち」であるのだから、不適切だと思われるかもしれないが、それでも毎年のようにインターネットには「一週間が経ったのに友達ゼロで大学四年間詰んだ」とか「周りが既にグループ化しててワロタw」といった書き込みが見られるみたいで、それだけ新入生は「ぼっち」に敏感になっているのだから、逆に言えば「ぼっち」の先輩の話も多少は耳に傾けてもらえる時期なのだろうし、交友関係について不安を持つ新入生が多い時期に便乗して、「ぼっち」生活の何たるかを熱弁しようではないかと思う。
先に当たり前のことを言うが、新入生はまだ「ぼっち」を気にする必要はない。
この時期に知り合ってつるむようになった人も現在では大半が御無沙汰状態で、自分以外の人もたぶんそうだろうから、周りにできてるグループに対して焦りを感じる必要は全くない。
大半のサークルは門戸を開いている。自分はやらなかったが、大学ののホームページを見れば公認サークルの連絡先が分かるだろうから興味のあるサークルに突撃してみるのもいいかもしれない。
授業が本格化する時期はこれから(新入生の場合は5月頃だろう)で、まだまだ授業を通じて友達を作るチャンスは存分に残されている。語学はクラスが固定化されているから気が合いそうな人間が見つけやすいし、よほどの「近寄るなオーラ」を出さないかぎり誰かしら声を掛けてくれるだろうから、その機会を逃さないように対応していればいい。学問好きの人はゼミ形式の授業が自由選択にあったら入ってみるといいだろう。似たような関心の人と知り合えるだろう。
「いつ友達作るか?今でしょ」みたいなハナシではないので、新入生はあせらず普通に生活していればいい。何より一番マズイのは「ぼっち」を拗らせてリア充を馬鹿にするようになって挙句の果てに図書館に引きこもって生活しているあまり「ぼっちな俺は高尚」だの分けの分からないことを考え始めるような残念な学生(ツイッターとかでよく見るタイプ)にはなって欲しくはないものだ。だいたい「図書館に毎日入り浸ったり大講義室で1人最前列に座り教授の話にウンウンしているタイプ=優秀、リア充=馬鹿」という図式ほどアテにならないものはなく、上位層は上位層同士で交友関係を広げている(これこそリア充というべきであると強く主張したい)のが現状である。中途半端に読書好きだったり中高時代非リアで勉強しかとりえのなかったタイプの人間ほど根拠のない妄想でリア充を馬鹿にして自分=アタマイイと思うことで自己を保っている傾向が強いが、大半は馬鹿だ。
ここまで語ってきた「ぼっち回避の通説(サークル・ゼミ・語学)」を読んでも、筋金入りの非リア系新入生にとっては「それができれば苦労しねーよ」という感想しか起こらないだろう。ここまでの記述は前段の「ぼっちdis」以外は枕詞というかお決まり文句で「新入生 過ごし方」「大学 友達 作り方」「ぼっち 脱出 方法」といったキーワードでググレばヒットするような某巨大掲示板まとめサイトあたりに必ず載っている内容で、僕みたいな本物の「ぼっち」に役立つ内容は、自分オリジナルの内容として少し手を加えた箇所以外は、基本的に役立たない。
僕なりに「大学ぼっち」について考えた結果、少しでも非リア新入生に寄り添った過ごし方のアドバイスといえば、「知り合いを増やせ」とうことに落ち着く。
つまり、いきなり友達になろうとするから気が合う気が合わないを色々と気にしなければならなくなるのであって、それよりも適当に知り合い(キャンパス内で会ったら挨拶できるくらいのレベルでよい)を増やしていき、その中から気が合いそうな人を見つけていけばよくね?というハナシだ。このくらいのレベルの交友関係ならばさほど負担にならないだろうから広げていくに適していると考える。
そもそも「友達」なんてものが1ヶ月や2ヶ月でできるほうが異常で、「お互い顔と名前を認識し数度話したことがある関係(知り合い)」から「友達」に移行するのは困難なハナシであろう。
「知り合い」は「友達予備軍」というべきものであって、就活生のいう「持ち駒」(説明会に参加したりエントリーシートを通過するなどして本エントリーを済ませた企業)のようなもので、多いに越したことがない。
まあ、リスクもある。それは一通り知り合いの中で気が合うか合わないかが分かるようになった時期に疎遠になった人とキャンパス内ですれ違って挨拶するかしないかで迷うような気まずい関係が増えてしまうというリスク。しかしながら、そのリスクを回避するために最初から交友関係ゼロで大学生活を乗り切ろうとするような途方もないリスクに比べれば、それなんてすずめの涙のようなものだから気にしなくてよい。僕だって気まずい知り合いは少なからずいるが4年になった今では普通に無視しているしそれが相手のためにもなるだろう。
知り合いを増やしていくことが、ぼっち気質の人間にとっては有効な対策になると信じている。
もっとも、こんなことやらなくても何とかなってしまうのが大半の人だろう。
新入生諸君は、まあ、前期試験が終わる頃になっても「それなりに話せる仲」の人ができなかってからはじめて焦ればいいと思う。あと、バイトはやっておけよ。
あーそれとそれと。
最近は「ぼっち」方面でもそれなりに色々とあるようで、1つは「僕は友達が少ない」というアニメ、もう1つは「ぼっちサークル」の出現(ツイッターであるらしい)だ。
「僕は友達が少ない」というアニメ、普通に見ても十分面白い。キャラデザインは可愛いしギャグも笑える。「ぼっち」という視点から見ても面白いのは、主人公たちの所属する隣人部(友達作りサークルみたいなもの)に所属する人たちは、メンバー同士で話したり休日に出かけたりと行動をともにすることが続いたとしても、それだけで「自分に友達ができた」と安易に思はない点で、彼ら彼女らは形式的に接触の回数が多いか否かよりも実質を真剣に考えているのだろう。これに対して「サークルに入っている時点でぼっちではない」と形式だけでぶった切るようなアホもいるから、アニメの「ぼっち論」といえど侮れない。
「ぼっちサークル」というサークルが増えているようだ。僕の大学にも実は存在するみたいだ。しかしながら、僕にとっては悪乗りか馬鹿かにしか思えない。マジレスすると、そのような友達を作るサークルに所属して友達を作ることだけを目的にした活動をして、何の価値があるというのだろう?そんなことよりも、マトモな活動目的があって、それのためにメンバー同士で協力しながら活動していくようなサークルで活動することによって生まれる絆のほうが価値がある。サークルに限らずとも、自分に軸がある人は友達が多いと思う。「軸」というのは、将来の目標だけでなく、アニメが好きだとか、音楽が好きだとか、下ネタが好きのようなものでもいい。最初はその「軸」をきっかけにして人は集まるからだ。だからなのか、法曹志望や研究者志望の学充集団が少なからず大学に存在しているのであろう。何が言いたいかというと、内容空疎な「ぼっちサークル」に集まって友達作りするのは気持ち悪いという感想だ。
色々と書いてきたが、むなしくもなってくる。いくら考えた所で、例えば話しかけても反応が薄く空回りしているような状況(たぶん拒絶されているのであろう。自分から交友関係を広げよう・友好関係を築こうとするたびこうなる)に陥ったことや数人で話しているとき自分だけ蚊帳の外になってしまったことを思い出すたび辛くなる。属性だけで人を見る人間もいる。世間の人間はさほど暖かくない。このブログや前のブログにも何回か登場した高校時代の唯一の友人のような存在が大学にいればいかに心強かっただろうにと思う。孤独なのだ。
先に当たり前のことを言うが、新入生はまだ「ぼっち」を気にする必要はない。
この時期に知り合ってつるむようになった人も現在では大半が御無沙汰状態で、自分以外の人もたぶんそうだろうから、周りにできてるグループに対して焦りを感じる必要は全くない。
大半のサークルは門戸を開いている。自分はやらなかったが、大学ののホームページを見れば公認サークルの連絡先が分かるだろうから興味のあるサークルに突撃してみるのもいいかもしれない。
授業が本格化する時期はこれから(新入生の場合は5月頃だろう)で、まだまだ授業を通じて友達を作るチャンスは存分に残されている。語学はクラスが固定化されているから気が合いそうな人間が見つけやすいし、よほどの「近寄るなオーラ」を出さないかぎり誰かしら声を掛けてくれるだろうから、その機会を逃さないように対応していればいい。学問好きの人はゼミ形式の授業が自由選択にあったら入ってみるといいだろう。似たような関心の人と知り合えるだろう。
「いつ友達作るか?今でしょ」みたいなハナシではないので、新入生はあせらず普通に生活していればいい。何より一番マズイのは「ぼっち」を拗らせてリア充を馬鹿にするようになって挙句の果てに図書館に引きこもって生活しているあまり「ぼっちな俺は高尚」だの分けの分からないことを考え始めるような残念な学生(ツイッターとかでよく見るタイプ)にはなって欲しくはないものだ。だいたい「図書館に毎日入り浸ったり大講義室で1人最前列に座り教授の話にウンウンしているタイプ=優秀、リア充=馬鹿」という図式ほどアテにならないものはなく、上位層は上位層同士で交友関係を広げている(これこそリア充というべきであると強く主張したい)のが現状である。中途半端に読書好きだったり中高時代非リアで勉強しかとりえのなかったタイプの人間ほど根拠のない妄想でリア充を馬鹿にして自分=アタマイイと思うことで自己を保っている傾向が強いが、大半は馬鹿だ。
ここまで語ってきた「ぼっち回避の通説(サークル・ゼミ・語学)」を読んでも、筋金入りの非リア系新入生にとっては「それができれば苦労しねーよ」という感想しか起こらないだろう。ここまでの記述は前段の「ぼっちdis」以外は枕詞というかお決まり文句で「新入生 過ごし方」「大学 友達 作り方」「ぼっち 脱出 方法」といったキーワードでググレばヒットするような某巨大掲示板まとめサイトあたりに必ず載っている内容で、僕みたいな本物の「ぼっち」に役立つ内容は、自分オリジナルの内容として少し手を加えた箇所以外は、基本的に役立たない。
僕なりに「大学ぼっち」について考えた結果、少しでも非リア新入生に寄り添った過ごし方のアドバイスといえば、「知り合いを増やせ」とうことに落ち着く。
つまり、いきなり友達になろうとするから気が合う気が合わないを色々と気にしなければならなくなるのであって、それよりも適当に知り合い(キャンパス内で会ったら挨拶できるくらいのレベルでよい)を増やしていき、その中から気が合いそうな人を見つけていけばよくね?というハナシだ。このくらいのレベルの交友関係ならばさほど負担にならないだろうから広げていくに適していると考える。
そもそも「友達」なんてものが1ヶ月や2ヶ月でできるほうが異常で、「お互い顔と名前を認識し数度話したことがある関係(知り合い)」から「友達」に移行するのは困難なハナシであろう。
「知り合い」は「友達予備軍」というべきものであって、就活生のいう「持ち駒」(説明会に参加したりエントリーシートを通過するなどして本エントリーを済ませた企業)のようなもので、多いに越したことがない。
まあ、リスクもある。それは一通り知り合いの中で気が合うか合わないかが分かるようになった時期に疎遠になった人とキャンパス内ですれ違って挨拶するかしないかで迷うような気まずい関係が増えてしまうというリスク。しかしながら、そのリスクを回避するために最初から交友関係ゼロで大学生活を乗り切ろうとするような途方もないリスクに比べれば、それなんてすずめの涙のようなものだから気にしなくてよい。僕だって気まずい知り合いは少なからずいるが4年になった今では普通に無視しているしそれが相手のためにもなるだろう。
知り合いを増やしていくことが、ぼっち気質の人間にとっては有効な対策になると信じている。
もっとも、こんなことやらなくても何とかなってしまうのが大半の人だろう。
新入生諸君は、まあ、前期試験が終わる頃になっても「それなりに話せる仲」の人ができなかってからはじめて焦ればいいと思う。あと、バイトはやっておけよ。
あーそれとそれと。
最近は「ぼっち」方面でもそれなりに色々とあるようで、1つは「僕は友達が少ない」というアニメ、もう1つは「ぼっちサークル」の出現(ツイッターであるらしい)だ。
「僕は友達が少ない」というアニメ、普通に見ても十分面白い。キャラデザインは可愛いしギャグも笑える。「ぼっち」という視点から見ても面白いのは、主人公たちの所属する隣人部(友達作りサークルみたいなもの)に所属する人たちは、メンバー同士で話したり休日に出かけたりと行動をともにすることが続いたとしても、それだけで「自分に友達ができた」と安易に思はない点で、彼ら彼女らは形式的に接触の回数が多いか否かよりも実質を真剣に考えているのだろう。これに対して「サークルに入っている時点でぼっちではない」と形式だけでぶった切るようなアホもいるから、アニメの「ぼっち論」といえど侮れない。
「ぼっちサークル」というサークルが増えているようだ。僕の大学にも実は存在するみたいだ。しかしながら、僕にとっては悪乗りか馬鹿かにしか思えない。マジレスすると、そのような友達を作るサークルに所属して友達を作ることだけを目的にした活動をして、何の価値があるというのだろう?そんなことよりも、マトモな活動目的があって、それのためにメンバー同士で協力しながら活動していくようなサークルで活動することによって生まれる絆のほうが価値がある。サークルに限らずとも、自分に軸がある人は友達が多いと思う。「軸」というのは、将来の目標だけでなく、アニメが好きだとか、音楽が好きだとか、下ネタが好きのようなものでもいい。最初はその「軸」をきっかけにして人は集まるからだ。だからなのか、法曹志望や研究者志望の学充集団が少なからず大学に存在しているのであろう。何が言いたいかというと、内容空疎な「ぼっちサークル」に集まって友達作りするのは気持ち悪いという感想だ。
色々と書いてきたが、むなしくもなってくる。いくら考えた所で、例えば話しかけても反応が薄く空回りしているような状況(たぶん拒絶されているのであろう。自分から交友関係を広げよう・友好関係を築こうとするたびこうなる)に陥ったことや数人で話しているとき自分だけ蚊帳の外になってしまったことを思い出すたび辛くなる。属性だけで人を見る人間もいる。世間の人間はさほど暖かくない。このブログや前のブログにも何回か登場した高校時代の唯一の友人のような存在が大学にいればいかに心強かっただろうにと思う。孤独なのだ。
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