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大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
そして、ぼっちや非リアと呼ばれるような学生は特に自分が就職できるかに敏感にならざるを得ない。というのも、それらの類の人は就活生に求められる能力である「コミュニケーション能力」が欠けていると自覚しており危機感を感じているからだ。
自分自身も学生時代はそうだった。絶対に就職できないか、できてもブラック企業だと思っていた。だが、何故か就職できた。内定も複数もらえた。ブラックではなかった。NNT(無い内定)候補生エリートコースを進んでいると思いきやまさかの脱落だ。
就活していたころから遠く遠くなってしまったが、そろそろ当時を振り返ってみようかと思う。もしかしたら、ぼっちや非リアの人間にとって役立つかもしれない。
さっきも話したし、ブログでも散々書いてきたけど、僕は大学内に友達がいなかった。いわゆるコミュニケーション能力は最低ランクだったし(もちろん職場でもコミュ障を発揮している)、リア充的な体験はあまりない。
さらに言うと、見た目は典型的なキモヲタだ(実際にヲタっぽいところがあるけど・・・
このような最低の状況から、人並の普通のごく平凡の結果にたどり着いたのはなぜなのか。
まず、早い時期から就活を意識することにした。
意識したのは大学に入学した時である。文系学生は(お勉強以外の面での)大学の過ごし方で就活が決まると聞いていたから、就活受けする生活をしようと思った。
具体的に言うと、サークルに入ることがそれであった。
サークルに入ることは就活に大きな武器になった。
まず、サークル参加は「友達がいる」ことの推定になる。平均的なコミュ力を持っている者であれば、定期的に顔を合わせる間柄の者がいれば友達も当然そこにできる。僕も定期的に顔を合わせる間柄の者がいること(サークルに入っていること)を伝えれば、まさか面接官も友達がいないとは思わないし(実際にはサークルに入ってはいるけれどそこに友達と呼べるほどの人がいない状況、サークル内ぼっちであった)、まあまあ充実した大学生活をしていたとの外観を作出することができる。
こういったことは、サークルに入っていた事実がなくても捏造で対応できるかもしれないが、話にリアリティーを持たせるためには実際に活動を経験するといいと思う。
僕もサークルを武器に使っていった。
当初はサークルを途中で抜けたことを隠したいからなるべくサークルネタを使わないようにしていたけど、自己PRに使っていたお勉強の話はウケが悪くて、必ずと言っていいほど面接官から嘲笑とともに「へぇ、で、あなたはサークルとかはやらずにお勉強ばっかりしていたんですねw」と言われて落とされ続けた。
そこで、途中で裏切ったサークルのネタを面接のアピールにするという背信行為をしているという後ろめたさもあったけれど、サークルネタを中心に話していくことにして、面接官の反応が改善してきた。
僕は見た目が典型的な非リアのキモヲタだから、面接では「お前、どうせサークルにすら入っていけないような社会不適合系の非リアだろ」(図星)みたいな雰囲気で追及されることがあったけど、サークルに入っていたことを前面に出していくと、それが盾になって追及から守ってくれる。
面接官「(まあ、こいつはサークルに入っていると言っているし、友達がいないというわけではないだろうし人間関係も少しはあっただろうし、ぼっちではないだろうな)」
といった具合で。
次に、「ぼっち殺し」質問への対策を固めた。
面接の定番の質問の中には、非リアやぼっちでも答えられるものと、回答が著しく難しいものがある(何社か面接を経験すれば気が付くことだが、面接の質問には定番があって、必ずしもオリジナリティーある質問がどこの会社でも飛んでくるわけではない)
難しい質問の例としては、「友達の中であなたはどのような位置づけですか」とか「仲間と何かを成し遂げた経験は」とか「意見が対立した時の対処法は」とかである。
こういった質問にぶっつけ本番で臨むことは危険だった。質問の答えに使えそうな経験が全くないわけではなくても、大学生活の大体を孤独に過ごしてきたから、とっさの質問に対し孤独体験以外のネタをひねり出すのは想像以上に難しかった。(そこまで頭の回転が速いわけでもないし)
自己PRは、上に書いたようにサークルネタを絡めていくことで何とか対処できたとしても、次に待ち受けるぼっち殺しの悪魔のトラップで落とされてしまう。
一次面接で落とされた某社の面接で、
面接官「授業がないときは大学でどのようにしてますか」
僕「えっと・・・一人で大学の周りを散歩していたりしてます!!!」
と、いかにもぼっちな答えをしてしまった。
他にも、就活を始めたばかりの頃に、
面接官「他人と対立した時の対処法は」
僕「えっと・・・特に対立するほどの経験がなかったので何とも言えないですね・・・」
と、思い返すと、どうして就職出たのか分からない受け答えをしていた(もちろんこの会社には落ちた)
そこで危機感を感じ、面接対策本を買ってきて(ブッ●オフで100円)、ぼっちがアドリブで答えるには難しい質問をピックアップして、自分の記憶を根こそぎ動員して何とか答えになりそうなエピソードを発掘したのだ。
バイトリーダーとかサークルリーダーのような華々しい経験を持つ人のエピソードには及ばないけれど、著しくマイナスにならないような答えは作れたと思っている。
弱点を把握し、先回りして対策を立てることが重要である。
このほかにも、いろいろと工夫を重ね、非リアぼっちなりに頑張って、まあ人並くらいの結果をのこせた。
たくさん書いて今更言うのもあれだけど、上に書いた方法論の正しさを保証するものは何もなく、そっくりそのままマネをしたからと言って同じ結果になるとは限らないし、もしかしたら就活を有利にするどころか不利にしてしまう可能性もある。
ある所の採用内定を獲得するための一連の行為には、どんな状況でもどんな人にでも通用する不変の法則や答えは、たぶん無い。面接を通過するかしないかは、極端な話をすれば、面接官の気分次第だからだ。
そういった複雑で曖昧模糊とした就活に直面した時、自分で考えることが一番大切なことだ。答えが用意されていないのであれば自分で答えを作るしかない。
そして、上に書いたことが僕が僕なりに作った答えの一部なのだ。
この前の「振り出しに戻る」という記事を読めば大体事足りる。卒業式後に書こうと思っていても結局書かなかったのは、あの記事で十分だから急ぐことはないと考えたのと時間があまりなかったからだ。
4年間の思い出は、このブログに書いたように必ずしもバラ色のものではないし、友達がいない悲惨な大学生活だったかもしれない。しかし、いざ大学を卒業してみると感傷的な気分が訪れる。小中高大(+浪人)の学生生活の中で大学生活が一番だったとさえ思うようになるのである。
特に、3、4年生以降は、授業が減り・バイトも始めたため時間とお金の余裕ができてきて、ほとんどが単独行動ながらも色々な楽しい思い出を作ることができたし、時間とお金の余裕は精神的な余裕も与え、例えばサークルの集まりを楽しめるようになるなど、人間的にも成長できたのではないかと思う。
自由の価値は不自由にならないと分からない。僕は卒業後には就職することにして、4月1日から仕事をすることになったが、平日の昼間からブラブラとするような自由は(有給休暇等をとらない限り)当然ない。就職して働くことを嫌とは思わないし、働きたくない気持ちより働きたい気持ちのほうが強いし、給料もほしいけど、帰りの電車の中でスマホをいじり学生時代の旅行の写真(旅行は基本的に平日に行っていた)を見ると不思議と涙が出そうになる。
社会人になって間もない頃の思いがこれである。これからこのブログを更新することがあるかはわからない(卒業旅行について書くことは決定している)が、何らかの形で心境をある程度長い文で書き残すような場所を見つけたい。
このような後ろ向きでネガティブな言葉に関心を寄せてしまうかというと、それは大学4年間を終えようとしている心境を一言で表すならばこれが最適であると考えるからだ。また、大学生活を「あきらめ」という言葉を鍵にして振り返ってみると実にいろいろな発見があるからだ。
「あきらめる」とは何に対してあきらめることを言うのか。それは自分が「何者かになること」である。僕は高校時代から「何者かになろう」として努力してきた(受験勉強)し、自堕落だった宅浪時代ですらその気持ちは捨ててなくて、大学時代のある時期まではそう考えていた。
しかし、大学生活は挫折だった。
もはや「何者かになろう」としても、大学受験のような勉強だけで何とかなるようなものはなく(もっとも大学受験をいくら頑張っても入学後に「非リア」や「ぼっち」といった廃人まがいの存在に落ちぶれてしまったら人生おしまいだと浪人時代から考えてはいたが)、「何者かになる」には、例えば就活で大成功して「エリート」と呼ばれるような会社に入ることなのか、それとも起業して年商ウン百億稼ぐ社長になることなのか、色々あるけれど、いずれの道を進むにしろ所謂「コミュニケーション能力」や「行動力」のような、捉えどころのない非言語的な能力という障壁を乗り越えなければならなかったし、僕にはそれが絶望的なほど欠けていることに気づかされていたから、八方塞だということを自覚していくようになった。
「何者かになる」ことを諦めて「普通の人間」になろうと努力していくことになっていた。
サークルに入った理由も色々あるが、「大学生といえばサークルに入るもの」という社会通念に従うべきだと考えたのもある。日雇い以外のバイトを始めた理由も、安定したバイト代収入がほしかったことに加えて、「大学生といえばバイトするもの」という社会通念に従うべきだと考えたからだ。クズにならない程度には単位を取ったけれど、それ以上に向学心をもっと何かをするということはなかった。勉強のしすぎは普通の人間から自分を遠ざけることになるからだ。
そして4年間が経過した。
結局「何者かになる」ことはできなかったが普通の人間には近づいた。非リアぼっちであることを除けば、僕はいたって普通の中堅大学の学生だ。バイトもサークルもやって大学の単位も普通にとった。バイト先で「バイトリーダー」のような素晴らしい働き振りをしたのでもなく、サークル長でもなく普通の平のメンバーで引退する。成績は(GPAだけでみれば)大学内では優秀な部類に入るのは間違いないが、論文等の実績はないし、教授から目をかけてもらっているわけでもない(ぶっちゃけゼミ内では孤立気味だし教授とも正直言って仲がよくない)。就職先は激ヤバブラック企業でもなければ、「トップ就活生のために」的なセミナーを主催するような学生が好きなエリートっぽい会社でもなく、公認会計士や弁護士のような難関資格を生かした職業でもなく、自営業でも起業でもない。いたって普通のところだ。そして、内定者の中でも、たぶんエリート候補生としての採用ではなく、百何人いる中の目立たないたった一人だ。
普通の人間になろうという目標は非リアぼっちであるという点を除けば十分に達成した。昔よりプライドも低くなって「何者かになろう」という考えからは卒業した。
しかし、結局何に対しても努力したり熱中できなかった4年間を振り返ると寂しさを感じてしまうのであった。そして無為な生活を送る中でも休眠火山のような情熱の矛先たるものの出現を期待している。
諸君、おはよう。久しぶりの更新だ。毎回更新するたびに久しぶりといっているような気がするが・・・
さてさて、大学生活は残り半年になってしまった。何も無いようで色々あったし、充実しているというほどではないけれどそれなりに楽しかったといえる生活だったから悔いはなく、留年や院進学といったモラトリアム拡張策は予定していない。
サークル内ぼっちを経て普通のぼっちにクラスチェンジし、非リア街道をまっしぐらに駆け抜けてきて、もはや抜け出せない所まできているから卒業まで非リアぼっちで過ごさざるを得ないし、それはそれでいいのではないかと思うようになってきた。
僕の大学はこの前の金曜日から後期がスタートしたけれど、金曜日には授業がないから今日まで夏休みの延長戦をしていた。大学生としての夏休みはこれが最後。とはいっても、無為な生活に徹していて、アルバイトとアニメの聖地巡礼(「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の舞台となった千葉県)以外は外出することがほとんどないし、地元の友人も就職してしまっているからなかなか会えなかった。
無為な夏休みを過ごしたあとは激しい後悔に襲われるのが常であったけれど、今回ばかりはそうでもない。心境の変化だ。これまでの僕は「かくあらねばならない」という理想を頭に思い浮かべ続けそれに沿って行動し自己を向上させようとしてきた(実際の行動が伴っていたかは微妙だが)。しかし、最近はそのような考えを捨てて「ダメな自分をダメな自分として受け入れよう」と現実を肯定するようになった。だから、(人間的に向上するチャンスである)夏休みを、いや、大学生活そのものを無為に過ごしてしまっても理想と現実とのギャップに悩まなくなった。また、日々を無為に過ごすこと辞退は自分にとって苦痛ではなく、むしろ自己鍛錬のために気に入らない他人と無理矢理過ごすような苦痛にくらべたらそれは喜びかもしれないからだ。
自分はダメな人間であることを自覚することでここまで精神に余裕が出るとは思わなかった。そこで、それからは「望むものと望まないものとを正直に区別」しようと考えた。
たとえば、専門として学んでいるはずの法律学。僕は4年間かけてもこれを心の底から面白いと思えなかった。もちろん、法分野によって興味の差があるが(上三法に限っていえば、民法は好きではなく、憲法は多少は興味を持つことができた)、全体的に見ればそれほど好きではないと気が付いたし、これまでタテマエとして法律を学ぶぞと言ってきたのは法学部生としての見栄が会ったのだろう。
なお、「法律学がつまらないというが、それは君が勉強不足でその面白さを理解するほどに至っていないからだ」というツッコミが予想される。うん、正解かもしれない。しかし、ここで問題なのは自分が「現在」どう感じているかである。仮に勉強不足が原因であったとしても、法律学に興味を持てていないという事実は厳然として僕の脳内にある。「望むものと望まないものを正直に区別」することは、現在自分が興味を持てるものを正直に捉えていこうということ、つまり法律学に興味がないという自分の感情に従おうということだ。
また、これでは社会に出たら通用しないという批判もある。このやり方を会社でやったら真っ先にクビになるだろうから、その通りだ。この姿勢は大学生である時期に限定しようと思うし、学生時代であっても、例えばバイト先のような他人に影響を及ぼすような場所では積極的に譲歩していく。まあ、こんなことを言うのも自由な学生生活の最後のわがままだと思って聞き流してほしい。忠告は不要。
というわけで、今回は露悪的な文章を上げてみた。不快に思う人のほうが多いだろう。ごめんなさい。
ここで筆をおきたいところだが、一応補足しておきたいことがあるので少しだけ。
前回の記事にこんなコメントがあったので引用しておく
コメントありがとうございます。重要な点もあるので、ここで答えておこう。
まず、順番は前後するが「高学歴ニート」ということについて。
「高学歴」という言葉を「大卒以上」という意味でなく「高偏差値」という意味で用いているのであれば誤解がある。僕の大学はこのブログでは公表していないから、おそらく何らかの形で僕が(こんなに頭の悪そうなブログを書いているにもかかわらず)高偏差値の大学に通っているものと勘違いしてしまったのだろうけど、そんなことはない。僕の大学は、いわゆる「マーチ」というくくりに属する所であり、お世辞にも高偏差値とはいえない気がする(もっとも「高偏差値」の定義に認識の違いがあるかもしれないが、学歴ネタに踏み込みたくないからこれ以上は触れない)
次に「卒業後の進路」については、残念ながら公表する気は全くない。たとえば就職する会社を公表してしまっては、内々定をくれた採用担当者様に迷惑がかかる可能性があるからだ。
というわけで、申し訳ないのだけど、気になる人は勝手に推測してほしい。それに対して何も応えられないが。
なお、このコメントのほかにも頂いていたが、それはその記事のコメント欄で返信する。