模索を続ける大学生(いわゆる「非リア」系)の日記。内面に関する省察が中心で根暗な印象かもしれませんがご容赦を。微力ながら自分の進むべき道を探求し続けます。たまにサークル内ぼっちとか喪男とかコミュ障とか社会不適合とか勉強とか… 2014年・就職しました
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プロフィール
HN:
おーじゃ
性別:
男性
職業:
大学生→社会人
趣味:
読書
自己紹介:
某大学の法学部に在籍中。「喪男」「非リア」「非コミュ」「真面目系クズ」「サークル内ぼっち」「社会不適合」勉強と読書中心の大学生活を望むも挫折気味。行き詰りの大学生活・・・
大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
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「あきらめ」という言葉に反応してしまう自分がいる。
このような後ろ向きでネガティブな言葉に関心を寄せてしまうかというと、それは大学4年間を終えようとしている心境を一言で表すならばこれが最適であると考えるからだ。また、大学生活を「あきらめ」という言葉を鍵にして振り返ってみると実にいろいろな発見があるからだ。
「あきらめる」とは何に対してあきらめることを言うのか。それは自分が「何者かになること」である。僕は高校時代から「何者かになろう」として努力してきた(受験勉強)し、自堕落だった宅浪時代ですらその気持ちは捨ててなくて、大学時代のある時期まではそう考えていた。
しかし、大学生活は挫折だった。
もはや「何者かになろう」としても、大学受験のような勉強だけで何とかなるようなものはなく(もっとも大学受験をいくら頑張っても入学後に「非リア」や「ぼっち」といった廃人まがいの存在に落ちぶれてしまったら人生おしまいだと浪人時代から考えてはいたが)、「何者かになる」には、例えば就活で大成功して「エリート」と呼ばれるような会社に入ることなのか、それとも起業して年商ウン百億稼ぐ社長になることなのか、色々あるけれど、いずれの道を進むにしろ所謂「コミュニケーション能力」や「行動力」のような、捉えどころのない非言語的な能力という障壁を乗り越えなければならなかったし、僕にはそれが絶望的なほど欠けていることに気づかされていたから、八方塞だということを自覚していくようになった。
「何者かになる」ことを諦めて「普通の人間」になろうと努力していくことになっていた。
サークルに入った理由も色々あるが、「大学生といえばサークルに入るもの」という社会通念に従うべきだと考えたのもある。日雇い以外のバイトを始めた理由も、安定したバイト代収入がほしかったことに加えて、「大学生といえばバイトするもの」という社会通念に従うべきだと考えたからだ。クズにならない程度には単位を取ったけれど、それ以上に向学心をもっと何かをするということはなかった。勉強のしすぎは普通の人間から自分を遠ざけることになるからだ。
そして4年間が経過した。
結局「何者かになる」ことはできなかったが普通の人間には近づいた。非リアぼっちであることを除けば、僕はいたって普通の中堅大学の学生だ。バイトもサークルもやって大学の単位も普通にとった。バイト先で「バイトリーダー」のような素晴らしい働き振りをしたのでもなく、サークル長でもなく普通の平のメンバーで引退する。成績は(GPAだけでみれば)大学内では優秀な部類に入るのは間違いないが、論文等の実績はないし、教授から目をかけてもらっているわけでもない(ぶっちゃけゼミ内では孤立気味だし教授とも正直言って仲がよくない)。就職先は激ヤバブラック企業でもなければ、「トップ就活生のために」的なセミナーを主催するような学生が好きなエリートっぽい会社でもなく、公認会計士や弁護士のような難関資格を生かした職業でもなく、自営業でも起業でもない。いたって普通のところだ。そして、内定者の中でも、たぶんエリート候補生としての採用ではなく、百何人いる中の目立たないたった一人だ。
普通の人間になろうという目標は非リアぼっちであるという点を除けば十分に達成した。昔よりプライドも低くなって「何者かになろう」という考えからは卒業した。
しかし、結局何に対しても努力したり熱中できなかった4年間を振り返ると寂しさを感じてしまうのであった。そして無為な生活を送る中でも休眠火山のような情熱の矛先たるものの出現を期待している。
このような後ろ向きでネガティブな言葉に関心を寄せてしまうかというと、それは大学4年間を終えようとしている心境を一言で表すならばこれが最適であると考えるからだ。また、大学生活を「あきらめ」という言葉を鍵にして振り返ってみると実にいろいろな発見があるからだ。
「あきらめる」とは何に対してあきらめることを言うのか。それは自分が「何者かになること」である。僕は高校時代から「何者かになろう」として努力してきた(受験勉強)し、自堕落だった宅浪時代ですらその気持ちは捨ててなくて、大学時代のある時期まではそう考えていた。
しかし、大学生活は挫折だった。
もはや「何者かになろう」としても、大学受験のような勉強だけで何とかなるようなものはなく(もっとも大学受験をいくら頑張っても入学後に「非リア」や「ぼっち」といった廃人まがいの存在に落ちぶれてしまったら人生おしまいだと浪人時代から考えてはいたが)、「何者かになる」には、例えば就活で大成功して「エリート」と呼ばれるような会社に入ることなのか、それとも起業して年商ウン百億稼ぐ社長になることなのか、色々あるけれど、いずれの道を進むにしろ所謂「コミュニケーション能力」や「行動力」のような、捉えどころのない非言語的な能力という障壁を乗り越えなければならなかったし、僕にはそれが絶望的なほど欠けていることに気づかされていたから、八方塞だということを自覚していくようになった。
「何者かになる」ことを諦めて「普通の人間」になろうと努力していくことになっていた。
サークルに入った理由も色々あるが、「大学生といえばサークルに入るもの」という社会通念に従うべきだと考えたのもある。日雇い以外のバイトを始めた理由も、安定したバイト代収入がほしかったことに加えて、「大学生といえばバイトするもの」という社会通念に従うべきだと考えたからだ。クズにならない程度には単位を取ったけれど、それ以上に向学心をもっと何かをするということはなかった。勉強のしすぎは普通の人間から自分を遠ざけることになるからだ。
そして4年間が経過した。
結局「何者かになる」ことはできなかったが普通の人間には近づいた。非リアぼっちであることを除けば、僕はいたって普通の中堅大学の学生だ。バイトもサークルもやって大学の単位も普通にとった。バイト先で「バイトリーダー」のような素晴らしい働き振りをしたのでもなく、サークル長でもなく普通の平のメンバーで引退する。成績は(GPAだけでみれば)大学内では優秀な部類に入るのは間違いないが、論文等の実績はないし、教授から目をかけてもらっているわけでもない(ぶっちゃけゼミ内では孤立気味だし教授とも正直言って仲がよくない)。就職先は激ヤバブラック企業でもなければ、「トップ就活生のために」的なセミナーを主催するような学生が好きなエリートっぽい会社でもなく、公認会計士や弁護士のような難関資格を生かした職業でもなく、自営業でも起業でもない。いたって普通のところだ。そして、内定者の中でも、たぶんエリート候補生としての採用ではなく、百何人いる中の目立たないたった一人だ。
普通の人間になろうという目標は非リアぼっちであるという点を除けば十分に達成した。昔よりプライドも低くなって「何者かになろう」という考えからは卒業した。
しかし、結局何に対しても努力したり熱中できなかった4年間を振り返ると寂しさを感じてしまうのであった。そして無為な生活を送る中でも休眠火山のような情熱の矛先たるものの出現を期待している。
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