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大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
俺がサークル活動をしていることは何回も言及してきたが、その目的についてはあまり触れていなかった。唯一、目的について詳しく書いたのはこちらの記事だが今では少し内容が古くなってしまった。補足したい。
こちらの記事では、サークル活動の目的を「ぼっち」という「自然状態」から脱する手段とした。「自然状態」はメリットもあるが基本的に弱く、安心を得るためにはそこから脱し共同体の一員となるべきだと考えた。
今ではそのような側面は弱くなっている。クラスのほうで何とか気が合う人が見つかり、一緒に勉強や読書ができる仲になった。少なくともいわゆる「ぼっち」とはいえない。さらにいうなら、サークルの仲間とはあまり打ち解けていないため共同体の一員としての安心感は得られているかきわめて疑わしい。
ここで別の側面が浮かび上がってきた。社会適合を目指すための手段としての活動だ。コミュニケーション能力を高めるという目的だ。
社会人となれば、仕事によりその割合は異なるが、ほぼ必ずコミュニケーション能力が求められる。そこでは、勝手な基準により、コミュニケーション能力のないものは「社会不適合」とみなされてしまう。俺はこんな社会にはもちろん反対だ。しかし、いくら反対しても、たとえば「革命」を起こせるわけでもない(起こすべきでもない)し、意味がなく、やはり少しでもくい込んでいけるように「努力」するしかないようだ。
その「努力」の手段として(これだけでは十分ではないだろうが)サークル活動をやっている。
今日、せっかくの休日だというのに、午前中から活動をすることになってしまい、休日を返上し、朝から大学に行き、「一人になる」というリラックスタイムもなく、夕食が終わるまで「拘束」時間は続いた。ものすごく疲れた。だが、運動において負荷をかけることが能力向上の方法であるように、コミュニケーション能力も、ある程度自分にとって大変なことを経験しないとつかないのかもしれないと思っている。人間関係に悩むことはなかなかなくならないだろうが、少しでも耐性をつけていきたいものである。