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模索を続ける大学生(いわゆる「非リア」系)の日記。内面に関する省察が中心で根暗な印象かもしれませんがご容赦を。微力ながら自分の進むべき道を探求し続けます。たまにサークル内ぼっちとか喪男とかコミュ障とか社会不適合とか勉強とか… 2014年・就職しました
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おーじゃ
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男性
職業:
大学生→社会人
趣味:
読書
自己紹介:
某大学の法学部に在籍中。「喪男」「非リア」「非コミュ」「真面目系クズ」「サークル内ぼっち」「社会不適合」勉強と読書中心の大学生活を望むも挫折気味。行き詰りの大学生活・・・
大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
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自分が「ぼっち」であるという事実。

以前、知り合いと会話している際についつい口が滑って、

「僕って友達いないんスよね~w」

といってしまったところ、その人の引きつった顔が忘れられない。そのあと「嫌だなア、冗談ッスよ」と言い直しておいたから大丈夫かもしれないが、友達がいないことを公言することがどれだけリスク高いことか気づかされた。

ネット上では「ぼっち」に関する書き込みをよく見かけるが、そう書いている人もなんだかんだいって友達が二桁くらいいるわけで、僕のような真性ぼっち(大学に友達ゼロ)は珍しい存在かもしれない。

そして、もっと重要なのは、そういった「ぼっち」のような欠点を他人にさらけ出してしまったら、舐められ、以後の関係は居心地の悪いものになるということ。人というのは、どこか自分の頭の中で、知り合った人間を全て自分より上か下かで判断しているものだから、欠点を自分からさらすことはリスキーだ。

そうやって欠点がばれてしまった相手とは縁を切りたいと思うことすらたまにある。

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大学生活も短いもので、あと半年ほどになってしまった。このブログは一応大学一年生のときから書いてきたわけで、読み返せばあの時どのように考えていたかすぐに思い出せるし、ブログやツイッターに記録として残さなかった出来事もそれなりに頭の中に記憶として残っている。

僕の(他人から見れば)つまらない大学生活をざっと振り返ってみると、

1年:サークル中心の生活だが「サ-クル内ぼっち」に悩む日々。勉強と読書中心の生活にしたかったという当初の願望とのギャップに葛藤する日々。

2年:サークル活動にも慣れ、それなりに安定した精神状態。後期にはサークルを辞めたり学部の友人関係孤立化という出来事。学内無縁社会化。

3年:回復の日々。それなりに知り合いが増える。友達はいない。

4年:現在。

という感じだった。このブログやツイッターを読んでくれている人には言うまでもないことかもしれない。

そして、僕の大学生活を表すキーワードは何かというと「勉強と読書中心の生活」だった。入学当初は目標を見失っていたが、しばらくすると大学でお勉強を頑張ろうと思うようになり、一時期は司法試験受けるとか言いはじめて(結局本格的に勉強する前に撤退したという黒歴史)、だけど次第に「勉強と読書中心の生活」に興味を失ってきて、3年からはよくある「大学生活」(全てにおいてホドホドを信条とする生活スタイル)にも憧れもしたけれど、むしろそれなりに「勉強と読書中心の生活」も実現できるようになってきて、だけど実際に体験してみることで味気なさにも気が付いてきた。

その「勉強と読書中心の生活」を言うときの僕はいつも肩肘張っていた。これこそが至上のものと思い込み、例えばサークル活動や飲み会といった所謂「遊び」の要素を軽蔑する感情とともに用いていた。

「勉強と読書中心の生活」にかけた思いというのは、もちろん僕はそれなりに「勉強」も「読書」も好きなわけで、インドア生活を満喫したいというのもあったけれど、実を言うと「勉強と読書」を通じて自分の知的レベルを向上させることで何らかの「救い」があるのではないかというのもあった。この点に関しては、確かに「就活では勉強ばかりしていた学生は不利」という言説を昔から知っていたなど、それの正しさを絶対的に信じていたわけではないけれど、やはりどこかでアテにしていた面もあったのではないかと「自己分析」している。

それはなぜかというと、僕みたいな「非リア」にとっては「自己成長」させる大学生活はほとんど無縁で(それどころか知り合いすら少ないのだから)、「自己成長」の手段(と思い込んでいる)としてもっとも手近なのは「勉強と読書」による知的レベルの向上だと思っていたからだ。行き場のない感情をぶつける対象だったのかもしれない。

ところが、現状はそうでもない。

実際の所、大学生活を振り返ってみると、「自己成長」できたのではないかと考えるのはほとんど全て他人と関わったりしたときだった。「サークル内ぼっち」だったサークル活動だって、そのなかでの人間関係で考えたことは、独りよがりに本ばかり読もうとしていたときよりも有益だったと思う。充実感を感じるのも、1人でシコシコ勉強しているときよりも、誰かと何かをするときだったと思う。

こうやって考えていくと、何故自分が一時的とはいえ、司法試験云々の話をしていたかも分かる。資格試験はお勉強で突破できるもので、お勉強は非リアにとってもっとも身近に感じられる立身出世の手段であるからだ。司法試験を考え出したのは忙しすぎるサークル活動との矛盾に悩んでいたときで、そのような現状の問題点を一気に解消する(安易な)手段として難関資格を考えたのだ。(このことと対比して、「意識の高い学生」を考えてみよう。彼らは大学1年2年生の頃から就活を見据えて学生団体やビジネスうんたらかんたらの活動をしている。そのような活動によって自己を向上させ、大手企業の難関をクリアできるよう自分に磨きをかけている。しかし、僕みたいな生粋のインドア系非リアにはそういった活動はできない。「自分に磨きをかける」活動として手近なのは勉強しかないと思っていた。)

しかし、それは妄想に近い。仮に司法試験に合格したとしても弁護士として活動していくには普通の企業で行う以上に「営業」が必要になるし、そもそも法律事務所に就職するにはコミュニケーション能力がひつようであるからだ。(こういったことを考えると、「非リア」や「コミュ障」で司法試験を考えている人が疑問でならない。たしかに民間企業や公務員の就活のように面接で合否が決する試験ではないが合格後に求められるコミュニケーション能力は営業職に就くのとどれだけの差があるのだろうか。資格を得るのにコミュニケーション能力が扶養という点では「非リア」「コミュ障」にも門戸は開かれているが、門をくぐったあとに挫折する可能性が高いことを思えば、どうしてそんな無鉄砲な選択が出来るのだろうか。そしてどうして僕はそんな無鉄砲な選択をしようとしたのか。)

そんなわけで、何がいいたいかというと「勉強と読書中心の生活」を望んだ心の裏には、現実を顧みない逃避的な発想があったということ。逆に言えば、現在はそのような発想を抜け出して、以前よりは現実に目を向けた、地に足のついた発想ができるようになったきたということだろう。

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夏風邪なう。10日くらいまえからこじらせてる。

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考えたい。 この手の話は大学生活に「失敗」した連中が好きな話だ。自分も少なからず後悔はあるし、仮に人生をやり直せるなら、いくつかの汚点を修正する便宜どころか全く別の選択肢を選び続けることを望だろう。   「あの時ああしておけばよかった」の話は、過去の失敗や後悔への悪しき感情を幾分やわらげて自分を慰める事ができるという素晴らしい効用があるから、眠れない夜のお供にはうってつけで、そのまま夢の世界で甘美な非現実の世界をみせてもらえれば言うことはないだろう。 項目を分けて話す(ちなみにこの前置き、大学の試験でも頻繁に使用してたりして、例えば「●●という論点について、○○の立場から論ずる」みたいに文字数を稼いでいる) 住居) 大学から一時間以内の場所に借家したい。経済的には無理な相談だが。 サークル) 活動が忙しくなく、かつ、僕の関心にあうところに入りたい。具体的なサークル名も思い浮かぶがさすがにここに書くのは恥ずかしい。 もっとも、現在のサークルでも全く駄目なわけでもない。 バイト) サークルは未加入でもバイトは一年の時からやっておきたかった。月々に数万円の小遣いが出るのでないなら、何かしらの収入は必要。 安月給のところで働いているが、経済状況は好転し、ある程度好きな物が買えるようになるし、 行動範囲も広まった。金がないと、定期券圏外に行くときの往復300円前後すら惜しいもの。ケチなだけでは金貯まるよりもストレス溜まる速度の方が早い。 そもそも勉強するのだって金が物を言う。大学の教科書や参考書は高い。 余談だが、司法試験の勉強に力が入らず放棄したことの遠因として、法律学の基本書や試験対策用の問題集を買う金に困ったことが考えられる。大学受験の時は、一冊千円前後の参考書の経済的負担はたかがしれたもので、バイトもしない収入(ちなみに月々のお小遣いは小学生の時に1000円だったのを最後に中学以降凍結されていた。そのくらいに貧乏な家だった)で体育会系の部活動で必要になる消耗品の購入という小さくない支出を抱えていた僕でも、お勉強のためのお金に困った記憶は無い。 ただ、多感な青春時代の消費行動にしては退屈すぎた。 友達) ほしかった。 お勉強) 何か明確な軸がほしかった。 読書を通じた教養(呆れ顔)という曖昧模糊なモノよりも、もう少し具体的(例えば刑法の勉強を続けて詳しくなるとか英語を勉強してTOEICで○○点取る、くらいのレベルでもよい)に勉強するものを決められなかったかと後悔。 法律学でいうと、ただ教授指定の教科書読むのと板書で満足するのでなく、別の基本書も精読したり判例や論文を読んだりするくらい(現在ゼミでやってるくらい)でよい。何に興味があるかを考え、狭く深く勉強できなかったから、ツギハギだらけの知識がかろうじてあるかないか。 恋愛) 喪男としてスタートしたわけだが、世の中の通説に中指をたてるようなスタンスは良くなかった。「彼女ほしかったうわーん」といっても仕方がないが、あまり喪男を拗らせても仕方がない。 そういえば未だに恋愛が分からない。そのせいで、某人気小説家の某有名恋愛小説(?)を読んでもピンとこなかったり、白黒ながら現代にも語り継がれる某恋愛映画を観てもやはりわけわかめ。 前のブログでは深夜テンションとしか思えないような文章で○○が好きみたいな話をしていたが、そのようにおもえるような体験は大学では未だかつてこれ無し。 損してる気すらしてくるが、どうしょもない。 ちなみに萌えアニメなら恋愛が題材でも問題ナッシングだ。流石です。

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 「ぼっち」新入生という単語を使うのも、今は大学新入生の大半が「大学に友達がいない状態=ぼっち」であるのだから、不適切だと思われるかもしれないが、それでも毎年のようにインターネットには「一週間が経ったのに友達ゼロで大学四年間詰んだ」とか「周りが既にグループ化しててワロタw」といった書き込みが見られるみたいで、それだけ新入生は「ぼっち」に敏感になっているのだから、逆に言えば「ぼっち」の先輩の話も多少は耳に傾けてもらえる時期なのだろうし、交友関係について不安を持つ新入生が多い時期に便乗して、「ぼっち」生活の何たるかを熱弁しようではないかと思う。

 先に当たり前のことを言うが、新入生はまだ「ぼっち」を気にする必要はない。

 この時期に知り合ってつるむようになった人も現在では大半が御無沙汰状態で、自分以外の人もたぶんそうだろうから、周りにできてるグループに対して焦りを感じる必要は全くない。

 大半のサークルは門戸を開いている。自分はやらなかったが、大学ののホームページを見れば公認サークルの連絡先が分かるだろうから興味のあるサークルに突撃してみるのもいいかもしれない。
 
授業が本格化する時期はこれから(新入生の場合は5月頃だろう)で、まだまだ授業を通じて友達を作るチャンスは存分に残されている。語学はクラスが固定化されているから気が合いそうな人間が見つけやすいし、よほどの「近寄るなオーラ」を出さないかぎり誰かしら声を掛けてくれるだろうから、その機会を逃さないように対応していればいい。学問好きの人はゼミ形式の授業が自由選択にあったら入ってみるといいだろう。似たような関心の人と知り合えるだろう。
 
 「いつ友達作るか?今でしょ」みたいなハナシではないので、新入生はあせらず普通に生活していればいい。何より一番マズイのは「ぼっち」を拗らせてリア充を馬鹿にするようになって挙句の果てに図書館に引きこもって生活しているあまり「ぼっちな俺は高尚」だの分けの分からないことを考え始めるような残念な学生(ツイッターとかでよく見るタイプ)にはなって欲しくはないものだ。だいたい「図書館に毎日入り浸ったり大講義室で1人最前列に座り教授の話にウンウンしているタイプ=優秀、リア充=馬鹿」という図式ほどアテにならないものはなく、上位層は上位層同士で交友関係を広げている(これこそリア充というべきであると強く主張したい)のが現状である。中途半端に読書好きだったり中高時代非リアで勉強しかとりえのなかったタイプの人間ほど根拠のない妄想でリア充を馬鹿にして自分=アタマイイと思うことで自己を保っている傾向が強いが、大半は馬鹿だ。

 ここまで語ってきた「ぼっち回避の通説(サークル・ゼミ・語学)」を読んでも、筋金入りの非リア系新入生にとっては「それができれば苦労しねーよ」という感想しか起こらないだろう。ここまでの記述は前段の「ぼっちdis」以外は枕詞というかお決まり文句で「新入生 過ごし方」「大学 友達 作り方」「ぼっち 脱出 方法」といったキーワードでググレばヒットするような某巨大掲示板まとめサイトあたりに必ず載っている内容で、僕みたいな本物の「ぼっち」に役立つ内容は、自分オリジナルの内容として少し手を加えた箇所以外は、基本的に役立たない。

 僕なりに「大学ぼっち」について考えた結果、少しでも非リア新入生に寄り添った過ごし方のアドバイスといえば、「知り合いを増やせ」とうことに落ち着く。

 つまり、いきなり友達になろうとするから気が合う気が合わないを色々と気にしなければならなくなるのであって、それよりも適当に知り合い(キャンパス内で会ったら挨拶できるくらいのレベルでよい)を増やしていき、その中から気が合いそうな人を見つけていけばよくね?というハナシだ。このくらいのレベルの交友関係ならばさほど負担にならないだろうから広げていくに適していると考える。

 そもそも「友達」なんてものが1ヶ月や2ヶ月でできるほうが異常で、「お互い顔と名前を認識し数度話したことがある関係(知り合い)」から「友達」に移行するのは困難なハナシであろう。

 「知り合い」は「友達予備軍」というべきものであって、就活生のいう「持ち駒」(説明会に参加したりエントリーシートを通過するなどして本エントリーを済ませた企業)のようなもので、多いに越したことがない。

 まあ、リスクもある。それは一通り知り合いの中で気が合うか合わないかが分かるようになった時期に疎遠になった人とキャンパス内ですれ違って挨拶するかしないかで迷うような気まずい関係が増えてしまうというリスク。しかしながら、そのリスクを回避するために最初から交友関係ゼロで大学生活を乗り切ろうとするような途方もないリスクに比べれば、それなんてすずめの涙のようなものだから気にしなくてよい。僕だって気まずい知り合いは少なからずいるが4年になった今では普通に無視しているしそれが相手のためにもなるだろう。

 知り合いを増やしていくことが、ぼっち気質の人間にとっては有効な対策になると信じている。

 もっとも、こんなことやらなくても何とかなってしまうのが大半の人だろう。

 新入生諸君は、まあ、前期試験が終わる頃になっても「それなりに話せる仲」の人ができなかってからはじめて焦ればいいと思う。あと、バイトはやっておけよ。

 あーそれとそれと。

 最近は「ぼっち」方面でもそれなりに色々とあるようで、1つは「僕は友達が少ない」というアニメ、もう1つは「ぼっちサークル」の出現(ツイッターであるらしい)だ。

 「僕は友達が少ない」というアニメ、普通に見ても十分面白い。キャラデザインは可愛いしギャグも笑える。「ぼっち」という視点から見ても面白いのは、主人公たちの所属する隣人部(友達作りサークルみたいなもの)に所属する人たちは、メンバー同士で話したり休日に出かけたりと行動をともにすることが続いたとしても、それだけで「自分に友達ができた」と安易に思はない点で、彼ら彼女らは形式的に接触の回数が多いか否かよりも実質を真剣に考えているのだろう。これに対して「サークルに入っている時点でぼっちではない」と形式だけでぶった切るようなアホもいるから、アニメの「ぼっち論」といえど侮れない。

 「ぼっちサークル」というサークルが増えているようだ。僕の大学にも実は存在するみたいだ。しかしながら、僕にとっては悪乗りか馬鹿かにしか思えない。マジレスすると、そのような友達を作るサークルに所属して友達を作ることだけを目的にした活動をして、何の価値があるというのだろう?そんなことよりも、マトモな活動目的があって、それのためにメンバー同士で協力しながら活動していくようなサークルで活動することによって生まれる絆のほうが価値がある。サークルに限らずとも、自分に軸がある人は友達が多いと思う。「軸」というのは、将来の目標だけでなく、アニメが好きだとか、音楽が好きだとか、下ネタが好きのようなものでもいい。最初はその「軸」をきっかけにして人は集まるからだ。だからなのか、法曹志望や研究者志望の学充集団が少なからず大学に存在しているのであろう。何が言いたいかというと、内容空疎な「ぼっちサークル」に集まって友達作りするのは気持ち悪いという感想だ。

 色々と書いてきたが、むなしくもなってくる。いくら考えた所で、例えば話しかけても反応が薄く空回りしているような状況(たぶん拒絶されているのであろう。自分から交友関係を広げよう・友好関係を築こうとするたびこうなる)に陥ったことや数人で話しているとき自分だけ蚊帳の外になってしまったことを思い出すたび辛くなる。属性だけで人を見る人間もいる。世間の人間はさほど暖かくない。このブログや前のブログにも何回か登場した高校時代の唯一の友人のような存在が大学にいればいかに心強かっただろうにと思う。孤独なのだ。

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