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大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
このような後ろ向きでネガティブな言葉に関心を寄せてしまうかというと、それは大学4年間を終えようとしている心境を一言で表すならばこれが最適であると考えるからだ。また、大学生活を「あきらめ」という言葉を鍵にして振り返ってみると実にいろいろな発見があるからだ。
「あきらめる」とは何に対してあきらめることを言うのか。それは自分が「何者かになること」である。僕は高校時代から「何者かになろう」として努力してきた(受験勉強)し、自堕落だった宅浪時代ですらその気持ちは捨ててなくて、大学時代のある時期まではそう考えていた。
しかし、大学生活は挫折だった。
もはや「何者かになろう」としても、大学受験のような勉強だけで何とかなるようなものはなく(もっとも大学受験をいくら頑張っても入学後に「非リア」や「ぼっち」といった廃人まがいの存在に落ちぶれてしまったら人生おしまいだと浪人時代から考えてはいたが)、「何者かになる」には、例えば就活で大成功して「エリート」と呼ばれるような会社に入ることなのか、それとも起業して年商ウン百億稼ぐ社長になることなのか、色々あるけれど、いずれの道を進むにしろ所謂「コミュニケーション能力」や「行動力」のような、捉えどころのない非言語的な能力という障壁を乗り越えなければならなかったし、僕にはそれが絶望的なほど欠けていることに気づかされていたから、八方塞だということを自覚していくようになった。
「何者かになる」ことを諦めて「普通の人間」になろうと努力していくことになっていた。
サークルに入った理由も色々あるが、「大学生といえばサークルに入るもの」という社会通念に従うべきだと考えたのもある。日雇い以外のバイトを始めた理由も、安定したバイト代収入がほしかったことに加えて、「大学生といえばバイトするもの」という社会通念に従うべきだと考えたからだ。クズにならない程度には単位を取ったけれど、それ以上に向学心をもっと何かをするということはなかった。勉強のしすぎは普通の人間から自分を遠ざけることになるからだ。
そして4年間が経過した。
結局「何者かになる」ことはできなかったが普通の人間には近づいた。非リアぼっちであることを除けば、僕はいたって普通の中堅大学の学生だ。バイトもサークルもやって大学の単位も普通にとった。バイト先で「バイトリーダー」のような素晴らしい働き振りをしたのでもなく、サークル長でもなく普通の平のメンバーで引退する。成績は(GPAだけでみれば)大学内では優秀な部類に入るのは間違いないが、論文等の実績はないし、教授から目をかけてもらっているわけでもない(ぶっちゃけゼミ内では孤立気味だし教授とも正直言って仲がよくない)。就職先は激ヤバブラック企業でもなければ、「トップ就活生のために」的なセミナーを主催するような学生が好きなエリートっぽい会社でもなく、公認会計士や弁護士のような難関資格を生かした職業でもなく、自営業でも起業でもない。いたって普通のところだ。そして、内定者の中でも、たぶんエリート候補生としての採用ではなく、百何人いる中の目立たないたった一人だ。
普通の人間になろうという目標は非リアぼっちであるという点を除けば十分に達成した。昔よりプライドも低くなって「何者かになろう」という考えからは卒業した。
しかし、結局何に対しても努力したり熱中できなかった4年間を振り返ると寂しさを感じてしまうのであった。そして無為な生活を送る中でも休眠火山のような情熱の矛先たるものの出現を期待している。
諸君、おはよう。久しぶりの更新だ。毎回更新するたびに久しぶりといっているような気がするが・・・
さてさて、大学生活は残り半年になってしまった。何も無いようで色々あったし、充実しているというほどではないけれどそれなりに楽しかったといえる生活だったから悔いはなく、留年や院進学といったモラトリアム拡張策は予定していない。
サークル内ぼっちを経て普通のぼっちにクラスチェンジし、非リア街道をまっしぐらに駆け抜けてきて、もはや抜け出せない所まできているから卒業まで非リアぼっちで過ごさざるを得ないし、それはそれでいいのではないかと思うようになってきた。
僕の大学はこの前の金曜日から後期がスタートしたけれど、金曜日には授業がないから今日まで夏休みの延長戦をしていた。大学生としての夏休みはこれが最後。とはいっても、無為な生活に徹していて、アルバイトとアニメの聖地巡礼(「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の舞台となった千葉県)以外は外出することがほとんどないし、地元の友人も就職してしまっているからなかなか会えなかった。
無為な夏休みを過ごしたあとは激しい後悔に襲われるのが常であったけれど、今回ばかりはそうでもない。心境の変化だ。これまでの僕は「かくあらねばならない」という理想を頭に思い浮かべ続けそれに沿って行動し自己を向上させようとしてきた(実際の行動が伴っていたかは微妙だが)。しかし、最近はそのような考えを捨てて「ダメな自分をダメな自分として受け入れよう」と現実を肯定するようになった。だから、(人間的に向上するチャンスである)夏休みを、いや、大学生活そのものを無為に過ごしてしまっても理想と現実とのギャップに悩まなくなった。また、日々を無為に過ごすこと辞退は自分にとって苦痛ではなく、むしろ自己鍛錬のために気に入らない他人と無理矢理過ごすような苦痛にくらべたらそれは喜びかもしれないからだ。
自分はダメな人間であることを自覚することでここまで精神に余裕が出るとは思わなかった。そこで、それからは「望むものと望まないものとを正直に区別」しようと考えた。
たとえば、専門として学んでいるはずの法律学。僕は4年間かけてもこれを心の底から面白いと思えなかった。もちろん、法分野によって興味の差があるが(上三法に限っていえば、民法は好きではなく、憲法は多少は興味を持つことができた)、全体的に見ればそれほど好きではないと気が付いたし、これまでタテマエとして法律を学ぶぞと言ってきたのは法学部生としての見栄が会ったのだろう。
なお、「法律学がつまらないというが、それは君が勉強不足でその面白さを理解するほどに至っていないからだ」というツッコミが予想される。うん、正解かもしれない。しかし、ここで問題なのは自分が「現在」どう感じているかである。仮に勉強不足が原因であったとしても、法律学に興味を持てていないという事実は厳然として僕の脳内にある。「望むものと望まないものを正直に区別」することは、現在自分が興味を持てるものを正直に捉えていこうということ、つまり法律学に興味がないという自分の感情に従おうということだ。
また、これでは社会に出たら通用しないという批判もある。このやり方を会社でやったら真っ先にクビになるだろうから、その通りだ。この姿勢は大学生である時期に限定しようと思うし、学生時代であっても、例えばバイト先のような他人に影響を及ぼすような場所では積極的に譲歩していく。まあ、こんなことを言うのも自由な学生生活の最後のわがままだと思って聞き流してほしい。忠告は不要。
というわけで、今回は露悪的な文章を上げてみた。不快に思う人のほうが多いだろう。ごめんなさい。
ここで筆をおきたいところだが、一応補足しておきたいことがあるので少しだけ。
前回の記事にこんなコメントがあったので引用しておく
コメントありがとうございます。重要な点もあるので、ここで答えておこう。
まず、順番は前後するが「高学歴ニート」ということについて。
「高学歴」という言葉を「大卒以上」という意味でなく「高偏差値」という意味で用いているのであれば誤解がある。僕の大学はこのブログでは公表していないから、おそらく何らかの形で僕が(こんなに頭の悪そうなブログを書いているにもかかわらず)高偏差値の大学に通っているものと勘違いしてしまったのだろうけど、そんなことはない。僕の大学は、いわゆる「マーチ」というくくりに属する所であり、お世辞にも高偏差値とはいえない気がする(もっとも「高偏差値」の定義に認識の違いがあるかもしれないが、学歴ネタに踏み込みたくないからこれ以上は触れない)
次に「卒業後の進路」については、残念ながら公表する気は全くない。たとえば就職する会社を公表してしまっては、内々定をくれた採用担当者様に迷惑がかかる可能性があるからだ。
というわけで、申し訳ないのだけど、気になる人は勝手に推測してほしい。それに対して何も応えられないが。
なお、このコメントのほかにも頂いていたが、それはその記事のコメント欄で返信する。