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模索を続ける大学生(いわゆる「非リア」系)の日記。内面に関する省察が中心で根暗な印象かもしれませんがご容赦を。微力ながら自分の進むべき道を探求し続けます。たまにサークル内ぼっちとか喪男とかコミュ障とか社会不適合とか勉強とか… 2014年・就職しました
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プロフィール
HN:
おーじゃ
性別:
男性
職業:
大学生→社会人
趣味:
読書
自己紹介:
某大学の法学部に在籍中。「喪男」「非リア」「非コミュ」「真面目系クズ」「サークル内ぼっち」「社会不適合」勉強と読書中心の大学生活を望むも挫折気味。行き詰りの大学生活・・・
大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
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 暑い日が続くが、それでも反省は欠かさず行う。

 8月だ。俺の大学の夏休みは8月からスタートした。大学生として過ごす、初めての夏休みだった。それに。受験勉強や部活があった中高の時の夏休みと違い、かなり自由度の高い夏休みだった。いわゆる「リア充」(←最近この言い方が嫌い。あまり使いたくないが分かりやすくするため使う。)的なことは何一つ無かった。だが、いや、だからこそ楽しかったと思う。

 今月は何をやっただろうか。楽しかったことといえば、今月の初めに鎌倉に一人で行ったこと、勉強したこと、読書したこと、煩わしい人間関係から自由だったこと。楽しかったこととはちょっと違うが、人生ではじめてのアルバイトを経験した。アルバイト、とはいっても試験官というすごく楽なものだが・・・ちなみに、試験官以外のアルバイトもあったから、今月だけで約6万円稼いだ。ほかの大学生に比べて多いのか少ないのか分からないが、自分にとっては満足できる金額。ただ大半はサークル活動で消えるだろう・・・

 まあ、いちいち勉強の内容があれこれだったとかは面倒だから省略。

 なんたって夏休みは人間関係の煩わしさからの自由がありがたかった。8月はサークル活動が無かったため(7月の中盤くらいから活動休止だったから、結構長い時間サークル活動から離れられた)精神的な負担が少なかった。自由な状態で、じっくりと、大学生活はどうあるべきか考えることができた。

 ああ、反省するのも面倒だな。9月からどうするか考えるか。

 9月に入ると、またサークル活動が始まる。「サークル内ぼっち」の俺には辛い日々。だからといって逃げ出すわけにはいかない(ぶっちゃけると、そのうち辞めるか休部的な扱いにしてもらうか考えているが)「サークル内ぼっち」を脱出する気にはあまりならない。別にあまり寂しいと思わないから。家族、地元の友人、大学の友人とサークル以外では「ぼっち」じゃないから。

 こんな状況でも、勉強だけはやりたい。「何のため?」と聞かれるとスラスラと答えることはできないが、なんとなく「勉強」をすることが、また、好きになったから。学生の本分は勉強というが、むしろ、勉強に専念できるのは、遊びに熱中できるのが大学生までであるのと同じように、大学生までで、社会人になって働くようになると勉強する時間も限られてくるから、今のうちに勉強したいと思っている。大学生活に悔いを残したくないんだ。




 そうそう、全然関係ない話題になるけど、ロールズの「正義論」の新訳が出ると最近耳にした。一応昔にも日本語訳があったみたいだが、あまり質がよくないらしく、しかも現在絶版。ロールズについて、大学の授業で扱われたたことがあって、それ以来興味を持っていた俺にとって朗報。ただ、値段がかなーり高いのが悩みの種。

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 恥を忍んでこの文を書いた。

 俺っていわゆる「いい子」だったと思う。小学生の時から高校生のときまで、先生の「言いつけ」に、ほとんど必ず従ってきた。「おとなしい子」として先生受けがよかった。勉強も、少なくとも、学校という小さな空間ではトップクラス(中学のころは何回か学年一位、高校では文系ではたぶん一番)の成績。服装は着崩さない。中学時代、3年連続学級委員的な役割に就任。真面目な生徒という立ち居地にいた。

 さらに言うならば、俺はこの「いい子」という立場を全く嫌に思っていなかった。「いい子」であることが俺の喜びだった。今でも「いい子」でいたいと思ってしまうくらいに。

 なんだ自慢か、と思われるかもしれない。決して自慢ではないから安心?してくれ。

 考えると、俺は先生から見ては「いい子」だったが、同級生から見て「いいヤツ」ではなかった。教室の「いい子」には実は友達が少なかった。付き合いは悪かった。そんな俺のダメな部分を見抜いた、「いいヤツ」の代表である、DQNグループとは常に仲が悪かった。

 さて、中学のころの担任でちょっと変わった先生がいた。その先生は俺の家に家庭訪問に来たときこういった。

 「おーじゃ君は先生受けはいいです」と。「先生受けは」の「は」をやたらに強調していたのを今でも覚えている。今でも思い出すたびに、苦い思い。

 先生は俺の「いい子ちゃん」としての部分を嫌っていたみたいだ。異色の教師だと思う。ただ、その家庭訪問の後、俺は学校で「いい子」とは違う、少し「個性的」な(自分で自分のことを「個性的」という醜さは感じるが、語彙力が少ないためほかの言い方が思い浮かばない)面を出すことができたため、先生からの評価はいくらかよくなった。

 散々自虐的なことを言ってきたが、それでも中学までは、昔からの知り合いが多いため、また、頑張って馬鹿をやっていたため、うまくやっていけた。

 高校・・・この辺は面倒だから省略

 現在の心境。

 思うに、学校(大学以前の)という「世間」の常識から少しズレた空間で「いい子」であることが、大学(さらにいうなら実社会でも?)でも必要とされることにはつながらない。「いい子」であることを評価してくれる、「学校の先生」はもう近くにいない。

 「いい子」であることに何の苦痛も感じない俺にとって、「いい子」であることを評価してくれる「学校」はどれだけ棲みやすいことだっただろう。

 それに比べて今の居心地の悪さ。「遊びよりもお勉強」「お家に寄り道せずまっすぐ帰る」「先生の言うことはしっかり聞く」これじゃあ通用しない。ノリが悪いとして「ダメ」と思われる。

 とっとと今の自分を脱却しないといけないのだが・・・

 今日もネガティブな記事でスイマセン。

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A「大学では彼女ができるといいね」
B「そのうち彼女ができるよ」
C「おまえだって彼女ほしいんだろ」

俺(表面)「へへ、まあ、そうですねw」

俺(内心)「うっせぇ、バーロー。てめえ俺のこと馬鹿にしているのか。俺は、彼女が欲しい、という言い方が嫌いなんだよ。だっておかしいだろ。彼女がほしい、というと、特定の誰か(いわゆる「好きな人」←この言い方恥ずかしいw)とお近づきになりたい、というよりも、不特定のオンナがほしい、って聞こえるんだよ馬鹿やろう。俺はそういうスタンスが嫌いなわけ。どうしても他人を自分の欲望実現のための道具に見ているように思えるんだよクソッたれが。それだったらキャバクラだとかフーゾクだとかと変わらねぇじゃねーか、本質的に。人と人との関係性の構築とか、そういったプロセスとか、もっとよ~~~~く考えたらどうなんだ、えぇ?ああ、わかっているよ、どーせ俺はDTだよ。気持ち悪いですよ。キモメンですよ。へっ、くだらねえな、てめーは。俺は一生純潔を守ってやるよw」

ぜえぜえ

 何か見苦しくなってすいませんw

 たまにはスタイルを変えて愚痴ってみました、てへっw

 俺(内心)で、「彼女がほしい」という」表現は嫌いと言っているけど、実は結構最近まで自分でも使っていたりする。上に述べたような違和感を感じたから使わなくなったけど。まあ、使っていたのは事実だから、「自己批判しろ」とか突き上げられそうなのですが、その辺は見逃してくださいw

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 このブログのタイトルは、今のところ「喪男浪漫・大学生活日記」だ。タイトルに「喪男」というワードがある。自分が「喪男である」から、自分が「喪男であること」を意識しているからそのような単語が入っている。

 ところで「、喪男」であることを名乗る、とは結構不思議なことであるかもしれないと思う。「喪男」とは単に「モテない」だけでなく「モテたいと思わない」ことも含む。(「モテたいと思わない」とは、主に、「鯛男のように積極的にモテたいと思わない」または「モテることを拒否する」といった二つの解釈があるのではないかと思う。)「モテたいと思わない」とは、つまり「モテ非モテを意識しない」ということにもなるのではない。俺はそう解釈する。

 もしも、「モテ非モテを意識しない」のであるなら、つまり「喪男」であるなら、自分が「喪男」であることを意識すること自体が矛盾である。「喪男」であると謳うという行為も矛盾だ。自分の解釈に従えば、「喪男」が「喪男である」ことをアピールするのはおかしい。

 別にモテないからといって精神的に苦痛を感じることもなくなってきた。すっぱい葡萄と思っていた恋愛も、声高に「すっぱい」と騒ぎ立てる必要も感じない。(この記事を書くこと自体「あの葡萄はすっぱい」といっていることに他ならない、という厳しいツッコミが来そうだ)すっぱかろうと甘かろうと、葡萄を食べたいと思わなくなり、代わりに林檎や梨に関心が向かっている。

 そこで、ブログのタイトルを変更しようと思うんだ。とりあえず「喪男」という言葉をはずそうと思う。また「喪男」の代わりに「非リア」のような2ch用語を入れるのも控えようと思う。いわゆる「普通」のことばで自分の考えを綴ろうと思うからだ。(ぶっちゃけて言えば、リア非リアの区分もナンセンスだ)

 問題なのは、いざブログのタイトルを変更するとなると、いままでのタイトルよりは、いくらかいいものにしないといけないという思いにとらわれてしまう。今のタイトルもそんなにいいものとは思わないが、変更後のタイトルがもっとダサくなったらどうしよう。

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 存在意義だなんて随分「重い」ワードをタイトルに使ったが、そんなに深刻なことを書くわけではないから、まあ気楽に。

 今日は一日中暇だったから、このブログの過去の記事を読み返していた。すると、記事の「雰囲気」というか、書く「ネタ」の中心になるものが徐々に変わっていると分かる。

 例えば、大学入学直後の不安定な時期、つまり4月5月はいわゆる自分が「非リア」であったり「ぼっち」であることについてのネタが多い。6月になると随分落ち着いてきたようで(じっさい「ぼっち」になることは回避できた)当たり障りのないネタが多い。7月になると期末試験ネタ。

 こうやってみてみると、「このブログといえばこのテーマ」というものがない。特定のテーマにしたがって書いたほうがいいのだろうか・・・というのも最近ネタが思いつかず困っていたから。ああ、もういいや。

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