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大学ぼっちのまま卒業し、現在は就職して新社会人。
B「そのうち彼女ができるよ」
C「おまえだって彼女ほしいんだろ」
俺(表面)「へへ、まあ、そうですねw」
俺(内心)「うっせぇ、バーロー。てめえ俺のこと馬鹿にしているのか。俺は、彼女が欲しい、という言い方が嫌いなんだよ。だっておかしいだろ。彼女がほしい、というと、特定の誰か(いわゆる「好きな人」←この言い方恥ずかしいw)とお近づきになりたい、というよりも、不特定のオンナがほしい、って聞こえるんだよ馬鹿やろう。俺はそういうスタンスが嫌いなわけ。どうしても他人を自分の欲望実現のための道具に見ているように思えるんだよクソッたれが。それだったらキャバクラだとかフーゾクだとかと変わらねぇじゃねーか、本質的に。人と人との関係性の構築とか、そういったプロセスとか、もっとよ~~~~く考えたらどうなんだ、えぇ?ああ、わかっているよ、どーせ俺はDTだよ。気持ち悪いですよ。キモメンですよ。へっ、くだらねえな、てめーは。俺は一生純潔を守ってやるよw」
ぜえぜえ
何か見苦しくなってすいませんw
たまにはスタイルを変えて愚痴ってみました、てへっw
俺(内心)で、「彼女がほしい」という」表現は嫌いと言っているけど、実は結構最近まで自分でも使っていたりする。上に述べたような違和感を感じたから使わなくなったけど。まあ、使っていたのは事実だから、「自己批判しろ」とか突き上げられそうなのですが、その辺は見逃してくださいw
彼女ができた。もちろん俺じゃないよ。中学時代からの友達のN君に。N君とその彼女の件は何回かこのブログに書いてあるから何のことかよくわかんない人がいたら、そっちのほうを見てくれ。いや、まあ、一応その記事を読んでいない人にも分かりやすく書くけど。たぶん。
N君は、鉄オタのオフ会で知り合った、同じく鉄オタの人と付き合うことになったらしい。N君がその人と知り合ったのはもう4ヶ月くらいになるな。なかなか告白できなかったN君も勇気を振り絞って告白したらしい。そしてOKと。
そして、俺はそのことをN君からの電話で知った。今日、N君から久しぶりの電話がかかってきた。
喜んでいる様子が、受話器越しに伝わってくる。かなり興奮してる。告白して、そのあと、二人でどんな(「愛」の)お話をしたかを詳しく事細かに教えてくれた。恥ずかしい内容にもかかわらず人に話したくなるほど嬉しいのだろう。
電話をかけてきたのは、彼女ができたことの報告だけでなく、相談があるからだったらしい。N君は俺に「付き合えたのはいいけれど、これからどうやって二人やっていけばいいのだろう?」と。よく分からないから、適当に「まあ、毎日メールしたりたまにデートするくらいでいいんじゃね?」といってお茶を濁しておいた。
まあ、N君もよかったな。好きになったもの同士が一緒になるのはそれなりに意味のあることだと考えられる。Nもその彼女もそんなに「恋愛」慣れしているほうではないみたいだから結構戸惑ったり上手くいかないこともあるだろう。それでも気長に頑張って欲しい。まったりと。
晩飯の後、俺は本を読みながら体を休めていた。一週間で最も嫌いな月曜日が終わりほっとしていた。明日の授業は楽だから、気は軽かった。
携帯の着信音が鳴った。着信音から分かった、中学時代の友達でこのブログにもたびたび登場するN君だ。一応知らない人のために説明すると、N君とは中学のときは、いけてないグループの同士として仲良く、高校は別で、彼は高校卒業後地元の企業に就職した。さらに鉄道オタクだ。
3月の終わりごろか4月のはじめくらいに、「彼が女友達と何々をしたというメールをしばしば送ってくる」とのことを書いたが、どうせ今回もそのことだろうと思った。毎週のようにそのオンナのことをメールで語ってくるんだ。舞い上がっているのがわかる。
写真が添付されていた。「俺の新しい友達」と説明が書いてあった。「はぁ?」って思った。写真を見てみた。一人のオンナがピースサインをした姿で写っていた。これがN君のガールフレンドらしい。ソバ屋の娘のような顔だった。
確認のため、聞いてみた。「つきあってるのか?」と。返事は「まだ。来週告白する」と。まだだったのか。意外な返事だった。
その後のメールで、ソバ屋の娘みたいな顔のオンナとの状況を聞いた。話によると、もう付き合う一歩手前だった。
少しばかり鬱な気分になっている。「自分が恋愛市場に参加できないこと」が原因といえばそうかもしれないが、「昔からの友達との間に壁が築かれつつある」ということがやはり一番きつい。「恋愛できない」ということは個人的な欲求の面から見れば「大した事ない悩み」として克服することも可能かもしれない。俺もそうできるように頑張っているが。
Nにも随分差をつけられたものだ。中学時代の友達(NくんとHくんなど)はみんな恋愛経験ありだ。恋愛自体に絶対的な価値はないと思っているが、現在の日本社会の中では彼らのほうが、恋愛経験者のほうが圧倒的に評価が高い。それだけ差をつけられている。
(自分でもわけ分からない文章になっている。鬱になっている時点で俺はまだまだ未熟だ。「恋愛放棄」はなかなかできることではない。)
この前、サークル活動の時にリア充の人と話して驚いた。
その人によると、今の彼女と出会ってから付き合うまで、わずか一週間だと。
びっくりした。驚いた。驚愕した。カルチャーショックだった。あまりに短い。短すぎるよおっかさん。
俺の場合は普通、知り合って一週間というのは、たとえ男同士でもまだ打ち解けられないくらい短い期間。まだ、うわべの付き合いの中で探り探りしている段階だ。
現在仲良くしている地元のやつも、知り合ってから何ヵ月(いや、何年)もたって、やっと信頼できるようになったくらい。
リア充のコミュ力の強さを目の当たりにした。別の種類の人間にしか思えない。一週間で付き合うとか、下らないテレビ番組や雑誌の中にしか存在しない都市伝説の類にしか思えなかった。
それに、やっぱり自分には「恋愛」という一つの人間関係の「定式」は馴染まないと再確認した。俺が人生において一種の充足感を得るには、「恋愛」という価値の体系(人はその体系の中で幸福を感じるのである)から脱し、新たな価値体系を自らの精神に打ち立てる覚悟が必要あるのではないかと思う。
いや~、ホントにすごいよみんな。
大学に進学してからその傾向は特に顕著になった。
大学に入学してからリア充になろうとする人、つまり大学デビューを目指す人も多いし、そこまではいかなくても、「大学に入ってからは彼女の一人や二人は欲しいな~」と思う人が大半だと思う。
俺も昔はそう思っていた。大学行ってからは脱喪しようと思っていた。
しかし、脱喪のために求められることはとても多く(服、髪型、ダイエット、トークスキルなど)、結局その努力を怠ってしまい、いつもと同じようなライフスタイルでいいやということで何も変わらず。だってそっちのほうが気が楽だし楽しいから。
彼女云々も諦めた、とういか関心が無くなった。
努力するのは面倒で、チャンスを待ってはキリが無い。どっちにしてももてないならば、煩悩は忘れるに如かず。「鳴かぬなら 諦めましょう ホトトギス」
すると異性への関心自体薄れてきた。
俺はまだ10代で若い(自分で言うのもアレだけど)なのに異性へ興味が少ないというのは、精神的に異常とまではいかないまでも、少しばかりおかしいのかもしれない。自分自身としては別におかしいとは思わないが。親に「彼女はできないのか?」と聞かれたときに「できないよ。というかそういう感心すら薄れてきた」といったら心配されてしまった。勘弁してくれ。
2次元3次元関係無しにそういう感情が分からなくなってきた。
どうしてこうなったのか?まあ、大学の女性が思いのほかブ●●クということもあるが(失礼)、それだけではないと思う。ああ、ちょっと眠くなってきた。後で冷静に考えてみて、もう少し考えが進んだら続きを書こう。もっとも、続きがある保証は無い。